44年前「3万キロ国際ラリー」で感じた意外な恐怖 特に厳しかった中東~インド走破の思い出

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平野の中を淡々と伸びる片側1車線のハイウェーは、加速度的に混雑度を増していった。さらには遅いクルマと速いクルマが、ルール無視(よそ者にはそう見えた)で入り乱れるようにも。

それまでほとんど出合わなかった高年式の乗用車も増え、それらがわが物顔で突っ走る。とくに怖いのは追い越しだ。無謀としか言いようのない追い越しを平然とやる。

片側1車線だから、追い越しは当然対向車線に出るが、その出方がすごい。対向車線のクルマが急ブレーキを踏んで避ける……といったような追い越しさえ珍しくない。追い越して元の車線に戻るときも「間一髪!」状態が少なくない。幸か不幸か事故は見なかったが、これは怖かった。

イスタンブール市内でも常識では測れない動きをするクルマを多く見たが、渋滞で全体の速度が遅いため、さほど怖さはなかった。後で聞いた話だが、上記した「怖い道路」での死傷者は、外国からの訪問者が圧倒的に多いとのこと。納得だった。

トルコに次ぐイランでは、あまり強く記憶に残っていることはない。アジアハイウェーを中心にしたルート構成だったと思うが、淡々と走り抜けた。テヘランも通ったが、恐怖を感じるような混雑にも出合わなかった。

軍事クーデターが起きる前年のアフガニスタン

アフガニスタンは、われわれが走った翌年、1978年に軍事クーデターが。次いでアフガン紛争が始まる……といったタイミングだったが、不穏な空気はあちこちで実感できた。

国境ではむき出しの拳銃を見せながら、「ここからは危険だから銃は必要だよ」と売りに来た。「銃は使えないから……」と丁重に断ったが、これも怖かった。

アジアハイウェーが主なコースだったが、沿道には、たしか、2キロほどの間隔で銃を持った監視兵が立つという物々しさ。とくに夜間、漆黒の闇の中に立つ監視兵の姿はけっこう怖い眺めだった。

アフガニスタンはクルマも少なく、町も少ない。いちばんきつかったのは眠気との戦いだった……が、首都カブールに入ると眠気は一気に吹き飛んだ。ラリー車は珍しいからだろう。多くの人達が集まり取り囲もうとする……と、そこに警官が走り寄ってきて追い払う。

それはありがたかったが、追い払い方がすごい。長い革のむちを振りながら追い払うのだ。ビューンと音が聞こえるほど強く。当たった人は飛び上がるような仕草を見せたり、うずくまってしまったりしたが、かなり痛いのだろう。

カブールではひときわ立派なアメリカ資本系ホテル(たしか、コンチネンタルだったかと思う)に泊まったが、久しぶりに寛げた。

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