夫の「あとでやる」が妻の逆鱗に触れる納得の理由 会社の後輩に同じことを言われたらどう思うか
後輩と昼食に出る。後輩は、ただ自分が後輩というポジションにいるという理由だけで、最初から、先輩におごってもらうつもりでついてくる。それだけでも、十分、「なんだかな」だと思っているところへ、一応気を使っている風に、「安いものでいいですよ」と言い出した。「ラーメンでいいですよ」でもいいかもしれない。先輩の負担にならないようにというアピールだ。
そもそも、なんで後輩だっていうだけで、お前はおごられる前提なんだよ、と先輩は考える。そこへ「安いものでいいですよ」と来たら、ふざけるな。だったら、自分で払って好きなものを食えばいいだろう。そう言いたくなりはしないか。
まったく同じロジックが妻の頭の中を駆け巡っている。
「なんで後輩だっていうだけで、お前はおごられる前提なんだよ」は、「なんで夫だっていうだけで、あなたは作ってもらう前提なの」であり、「安いものでいいですよ」は、「簡単なものでいいよ」なのだ。そして、「だったら、自分で払って好きなものを食えばいいだろう」と思った先輩同様、妻も、「だったら、自分で作って好きなものを食べればいいでしょ」となる。
実際、この書き込みに続く共感の声の多くは、「じゃあ、自分でやれば」で終わっている。
無自覚の「でいい」に注意しよう
たかだか、「が」と「で」の違いで、そこまで目くじらをたてなくても、と言えばその通りだ。ささいなことではある。けれども、家事の呪いにかかり、毎日、夫と子どもの健康と家計を天秤にかけながら「きちんと」家の中をまわそうとしている妻達には、「でいい」という言葉は夫がマウントをとっているように響く。
作ってもらっている立場で、本来ならば、感謝してくれていいはずの夫が、妥協してやるよ、我慢してやるよと言っているように聞こえるのが、「でいい」なのだ。
日々、彼女の代わりに食事を作ろうという人は別だが、作るという労をとらない立場の場合は、「でいい」は封印しよう。
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