「格差は不当」と憤る人が気づいてない過酷な摂理 完全に自由な自由主義経済である限り不平等に
平等にする努力をしなければ極端な格差は生じる
格差が経済における一大問題であることは疑いない。しかし格差の影響は、経済にとどまらない。格差にともなう民衆の不満が、民主主義のあり方を問い直すことになっている。
格差については、多くの研究が行われている。富める者が、よりよい教育を受けてより多くの富を得る構造や、高所得者に有利な税制の問題、さらに、株主資本主義による超高額所得者の出現などの要因が指摘されている。
しかし、私はまったく違う結論にいたった。私の知る限り、今から紹介する理論が、これまでのあらゆる理論の中で、最も少ない前提で格差を説明している。というのも、この理論では、
格差が生じるのには、理由はいらない
ことを明らかにするからである。
われわれは、自然に配分すれば、平等になるはずなのに、何か理由があって、格差が生じているはずだと考えてきた。したがって、その理由を明らかにし、対策すべきだと考えていた。
真実は反対だ。自然に配分すれば極端な格差になるのであって、平等にするには、何か特別なことを行う必要があるのだ。富の分配を平等にする努力をしない限り、極端な格差が生じるのである。すなわち、
平等には理由があるが、格差には特別な理由はない
のである。
ここでは、経済的な富の分配を考える。
たとえば、あるときに、すべての人の財産を没収し、全員に一定量のお金を分配したとしよう。乱暴なやり方ではあるが、この直後は、全員の所有しているお金は平等になる。
しかし、お金は使わないと所有している意味がない。そして、お金は使えば減るし、もらえば増える。人から人へ移動する。だから、いったん厳密に平等を実現しても、すぐに平等ではなくなってしまう。
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