「格差は不当」と憤る人が気づいてない過酷な摂理 完全に自由な自由主義経済である限り不平等に

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それでも、この「大貧民」では、最大の格差でも、大貧民と大富豪との差であり、これ以上は格差が広がらないよう歯止めがかかっている。しかし仮に、ゲームの負けの度合いに応じて、次回のゲームでの不利の度合いが大きくなるようにルールを拡張すると、いったん貧民側へと入り込んだら無限に落ちていく力が働くようになり、そこから抜け出すのが極めて困難なゲームになる。

そして、完全に自由な自由主義経済とは、まさにそのような仕組みなのである。

ルールから配分が決まり、その結果の配分によって、成績のよかったものが優遇される新たなルールが決まる。これを繰り返すことでルールを何度も更新することができる。新たに更新されたルールはつねにその前のルールよりも不平等になる(よい結果が続くとより優遇され、悪い結果が続くとより冷遇される)。これが、不平等が生まれる基本構造である。エントロピーの増大によって生じる格差が、何重にも増幅された結果、極端な格差が生まれるのである。

勝者優遇のルールが格差を拡大させる

実は、ここで見られるように、取引や競争や生産活動を行って、結果のよかった人をその後の活動で優遇することは、社会のいたるところに見られる。あるいはそのような明文化されたルールや、人の明確な作為がなくても、見栄えや味などがよい商品が、自然とうわさになり、そのうわさからSNSなどで広く情報が拡散されて売れるようなこともよく起こる。

これはある意味で当然である。一生懸命に頑張って結果を出した人と、サボっていた人との間で、処遇に差をつけないならば、頑張って工夫する人がいなくなってしまうからである。また、買った人が気に入った商品の情報が、多くの人に伝わるようになることも、人々の生活を豊かにするには欠かせない。

したがって、ここでいう「配分のあり方の変化」は、「因果応報」あるいは「信賞必罰」という言葉で表すのがふさわしいものだ。結果のよかった人やモノを優遇し、そうでなければ優遇しないということである。

ここで大事なのが、図⒝に示したように、平等なルールで配分しても、相当の格差が生じるということである。これは、自然なありふれた分配の結果なのだ。そこには、何の理由もない。ということは、能力の差や努力量の差がまったくなかったとしても、よい結果に恵まれたり、悪い結果となったりすることは十分にありうるということだ。そしてこの偶然による結果の差に対しても、「因果応報」「信賞必罰」が適用されれば、次からは不平等な処遇による配分が始まる。

次ページ連鎖が何回か繰り返されるほどに格差は桁違いに
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