山のような服を罪悪感なく処分できる驚きの方法 本当のお気に入りだけが残る「追試」の威力

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捨てる先も重要である。まだ綺麗なもの、高かったもの、つまりは十分着れそうなもの(つまりはほぼすべて!)は、近所のパン屋さんのフリーボックス行きとすることにした。

これも非常に良い方法だったと思う。気の毒な「落第生」が案外多くの人に喜ばれ、たちまち誰かにもらわれていくのを見たことが、私は思いのほかうれしかった。なるほどこれで良かったのだと心から思えた。

そうなのだ。私にはイマイチな服も、服には何の罪もない。ただ「合わない」だけなのだ。他の誰かならピッタリ合うかもしれない。たくさん着てもらえるかもしれない。となれば服もきっとうれしいだろう。

そうだよ考えてみれば、滅多に着ない服を「高かった」とか「いつか着るかも」とかいってクローゼットの奥で所有し続けるって、まるで昔のお殿様が、どこかの可愛い娘を大奥に連れてきたものの、次々来る新人に心奪われて存在すら忘れほったらかしにしてるようなものだったんじゃないだろうか? 娘の悲しみ、嘆き、いかばかりか。

その悲しみが殿様に大きな災いをもたらしたとておかしくない。なるほどそう考えると、わが人生がなんだかんだ言って悩みや苦労にまみれていたのもそのせいだったのか……?

「おしゃれ」をやめたいわけじゃない

ま、それはさておき、このようにして日々追試を重ねまくり、ついに私は「十着」レベルまで服を減らすことになんとか成功したのであります!

しかも泣く泣く捨てたわけではない。終わってみれば、服にとっても私にとっても世の中にとっても「良いこと」をした気分である。三方良しとはこのことだ。人間、やればできるな! 

で、その結果どうなったか。

一言で言えば、なかなか「新鮮な」暮らしが始まった。

まず、今日は何を着て行こうかという悩みの時間がわが人生からがっさり消えた。それでも最初のうちは、少ないアイテムでも工夫して日々コーディネートを変えたりしていたが、そのうち、昨日と同じ服を着て出かけることもまったく気にならなくなった。

そもそもなぜ昨日と今日の服が同じじゃダメなどと信じていたのかねと思ったり。当然のことながらめちゃくちゃ楽チン。心配していたような、心が沈むようなことも案外なかった。思い切ってやってみれば、至って普通だったんである。

次ページもたらされた心の平穏の一方で……
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