おしゃれ「だった」人認定で落胆したが
会社を辞め収納ゼロの小部屋に住む羽目になったせいで大量の服を処分せざるをえなくなった私は、苦闘の末に画期的アイデアをひねり出し、なんとか元気よくフランス人レベルの「服10着生活」に……という経緯は前回書いたとおり。いやー、人間やればできる!
だが人生は厳しい。ここまでしても、メデタシメデタシというわけにはいかなかったのだ。毎日似たような服を着始めた私を見て、かつての私を知る元同僚から「オシャレをやめた人」認定を受けた私は、再びがっくりと落ち込んでしまう。
ああこれでまた、振り出しに戻ってしまったのだろうか。
退社による自由と引き換えに給料を失うというシビアな現実を乗り切るため、江戸の貧乏長屋を見学したり韓国ドラマを見たりして、「失うことは惨めなじゃない」「むしろオシャレかも!」とセルフ洗脳にはとっくに成功したはずだった。
でも頭で考えたことと実際に実行することとの間には、やはり超えがたい溝があったのだ。くだんの元同僚の一言には何の悪気もなく、むしろそこまで自分を変えられてスゴイという褒め言葉だったと思われるだけに、ひどくこたえた。つまりは客観的に、私は間違いなくそのように見られているのだ。
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