コロナで露呈「正しく数字を扱えない」日本の弱点 「プロセス」軽視で「結果」ばかり重視の危うさ

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現在、開催を予定している五輪では関係者のために、毎日のウイルス検査を予定しているそうである。それに対しては、「国民にはあまり検査しないものを、なぜ五輪関係者のためには徹底して行うのか」という疑問の声が高まっている。

実際1年ほど前には、広くPCR検査を積極的に行うことを求めた一部の声に対して、「検査の精度はそれほど高くない」「軽症なら多くは何もしないで治る」「医師が感染を疑った人にはすぐに検査できる体制の維持が大切」などの理由から、PCR検査は広く行わないほうがよい、という考え方が主流であった。

五輪関係者に対する特例的な扱いの是非をここで論じるものではないが、統計的な調査・検査に対する見方が浮上したことは確かである。要するに、国民誰もが自分の身に降りかかる問題によって、調査・検査という地味な「プロセス」の面にも目を向けることになったのだろう。

「結果」の面ばかりに注目

近年は「プロセス」を軽視して、「結果」の面ばかりに目が向いていたと考える。たとえば、GDP(国内総生産)の推計方法の見直しで名目GDPがかさ上げされたこと。さらに、コロナの数理モデルについての研究が昨年いろいろ発表されたとき、「どのようなデータと式が用いられたか」にはほとんど目が向かないで、「当たったか当たらなかったか」という「結果」ばかりに目が向いたこと。

このような多数の意識が、数学マークシート試験で裏技を使って正解を当てることに何ら違和感をもたなくなってきたことにつながっていると指摘したい。

筆者としては、コロナと五輪の問題をきっかけとして調査・検査という統計の基礎に目が向いたことが、一歩進めて統計全般にも国民の目が向くことに期待するものである。

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