コロナで露呈「正しく数字を扱えない」日本の弱点 「プロセス」軽視で「結果」ばかり重視の危うさ

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上の式でいえば、Bは運行本数で、Bを0.8倍にしたのである。それならば、通勤客数としてのAも0.8倍以下にしなくては、「密」の状態がひどくなるのだ。

それゆえ、当然、事前に大多数の会社に出勤社員数を0.8倍以下にする了解を得なくてはならないはずである。それがなかったからこそ、一気に「密」の状態がひどくなり、結果として5月7日には減便を打ち切ったのである。

客観的数値を用いる重要性

次に、1人の感染者が平均で何人にうつすかを示す「実効再生産数」について述べたい。実効再生産数が2ならば、感染者A君は2人にうつす。その2人をB君とC君とすると、B君とC君はそれぞれ2人にうつすので、新規に4人が感染する。

その4人をD君、E君、F君、G君とすると、その4人はそれぞれ2人にうつすので、新規に8人が感染する。このように、実効再生産数が1より大きいと、感染者数はねずみ算的(指数関数的)に増えていく。

一方、実効再生産数が0.5ならば、新規に感染した16人から次に8人に感染し、その8人から4人に感染し……、というように0人に収束していく数列をつくる。そのように実効再生産数が、1より小さくなることがコロナの収まる絶対条件であるが、1に近い数はブレがあると1を超えるので、1より0に近い数値に越したことはない。

ところが昨今の記事等をいろいろ見ると、この種の客観的数値を用いる表現が十分ではないと感じるが、このような姿勢が国民の数的論理を遠ざける一因になっていると考える。

余談であるが、小学校で事故が多発した「組体操」について、筆者は古くからモデル化して拙著や新聞で警告を発していた。体重32kgの15人の生徒が、下段から5人、4人、3人、2人、1人というように組むと、最下段中央の生徒には100kgの体重が上からかかる。ところが、このような数字を用いた説明より精神論による議論がいつまでも主であったがために、事故はいつまでも続いた苦い思い出がある。

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