日本人はICT教育の本質をいまいちわかってない 元グーグル副社長が示唆する「未来の教育」
電気も十分に行き届いていない最貧国では、夜になると街灯の下にノートを広げて、勉強に励む生徒もいるという話を聞いたことがあります。これと同様のことを、日本の経済的に恵まれていない生徒たちに強いてはなりません。
地域(無料)Wi-Fiの提供といったサービスをあわせて整備させていく必要が出てくることでしょうし、経済的に恵まれない家庭の生徒には、携帯電話回線を使ったポケットWi-Fiを無償で提供するといったことが、実際に動き出している自治体も出ていると見聞きしています。
さて、PCを配って、Wi-Fi経由でインターネットにつながりさえすれば、今後の教育はこれでOKというわけではありません。
それは、単なる文房具を配っただけで、教育が始まるのは、その上でのことです。
次段階として整備しなければならないのは、電子教科書です。これは、世に行われている電子書籍のような、現行の紙の教科書をそのままにした「紙の教科書の電子読み」ではダメです。テキスト・動画・静止画を、縦横無尽に駆使した、本当のeラーニングを実現できる電子教科書を目指さなければなりません。
ここで、本当のeラーニングといったのは、「腑に落ちる」ラーニング、たとえば、「分数の割り算はひっくり返して掛け算を行なう」と覚えるのではなく、それを納得させることのできるテキスト・動画・静止画を、縦横無尽に駆使した電子書籍としての教科書が望まれるという意味になります。
150年に一度の教育の大改革時代がやってきた!
ここまで私は、日本の教育を、ICT利活用の観点から述べてきていますが、「そんなこと言われても」と戸惑われている方もおられるかもしれません。ここからが本題であり、ニューノーマルに向けた対策のヒントとなります。
明治維新以来150年、日本の教育は、欧米先進国に追いつくため、効率よくただひたすら正解を覚え込むことが主眼になってきました。人よりたくさん正解を覚え込んだ生徒が、優秀だ、頭がいい、という評価でした。
しかし現代のいわゆる世界に通用する「グローバル人材」に求められているものは違います。
問題そのものを発見し、その上で、正解があるかどうかもわからない問題の答えを求めて考え抜く人材を育てるという方向に、教育は大きく舵を切らなければいけません。
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