田村淳が伝えたい「悲しいだけの葬儀」の違和感 疑似体験できるように描写した母と最期の別れ
「延命治療をしないでほしい」
バラエティー番組や経済・情報番組などで活躍するタレント、田村淳が20歳のときに母から伝えられていたメッセージだ。当時うまく理解できなかったが母ががんになったとき、フラッシュバックとして鮮明に思い出したという。
親の老いを受け入れること、親の最期を考えることは愛情があればあるほどつらく、日常、考えないことにしている人は多いかもしれない。そんな「親との別れ」について、淳は著書『母ちゃんのフラフープ』で次のように書いている。
一度目の別れは、子どもが実家を出ていくとき。
二度目の別れは、親がこの世を出ていくときだ。
それがわかっていても、いざ母の主治医から「もって1年ですね」と告げられると頭が真っ白になった。親が死ぬのはずっと先のことだと思っていた。だけど、その日は容赦なく訪れる。
「亡くなる前に思考がハッキリしている状態でメッセージを遺しておくのは大切なんじゃないかと。残された側としてもいろいろと選択ができるのは、良いことだと思って。そんなときに娘が生まれて自分自身もどう生きたいか、どう死にたいか、をきちんと考えるキッカケになりました」
最期のときを「自己プロデュース」した母
2020年8月コロナ禍のなか、がん終末期で入院中だった淳の母・久仁子は自分の生き方、死に方にこだわっていた。別れ花と呼ばれる棺の中に花を手向ける儀式での最後のお別れを望まずに、「私が死んだら写真を1枚1枚参列した人に入れてもらってほしい」と、今まで撮った写真に全部メモ書きを入れていた。自己プロデュースによるお別れを考えていたのである。
そんな母の生き様に触れ合っているうちに、淳にひとつの感情が芽生えた。
”母との別れの物語を書籍として残したい”
「母ちゃんからは、淳の好きなようにしなさいと言われました。僕は最期のときを迎える際、この世での心残りがない状態でいたい。そう思って、書き下ろしノンフィクション『母ちゃんのフラフープ』で、母との別れを描きました」
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