ジャパネット、名物社長が引退を決めたワケ 創業29年目で高田社長から長男にバトンタッチ
一方、高田社長からバトンを引き継ぐ旭人副社長は、社内ではすでに実力者として知られている。
同氏は東京大学教養学部を卒業後、01年に野村證券へ入社。03年にはジャパネットに入社し、翌年に大きなトラブルを経験している。04年にジャパネットは元従業員による情報漏えい事件を起こし、49日間にわたる全面的な営業自粛を実施。創業以来、そのとき最大の危機に見舞われた父・高田社長を支えたのが、社長室長を務めていた旭人副社長だった。
その後は福岡のコールセンター長などを歴任し、帝王学を学んでいく。高田社長は過去の東洋経済のインタビューで「子どもだからじゃなく、彼は非常に優秀。私は親子の関係以上のことを求めてしまうので、一番けんかしてぶつかっている」と語っている。
大量販売のビジネスモデルは継続
現時点で旭人社長のテレビ出演の予定はないという。ジャパネットと言えば、高田社長が甲高い声でお茶の間に向かって商品説明するイメージが強いが、このスタイルは継承しないことになる。
ただし、ジャパネットが得意とする大量販売というビジネスモデルは引き継ぐ。何十万点もの商品点数をそろえる家電量販店やアマゾンとは対照的に、ジャパネットは30商品で売上高の8割を占めるコンビニ型となっている。これは高田社長が「面白い」と思った商品を現金で大量に買い付けて、自らのセールストークで一気に売りさばくという希有なビジネスモデルを構築したことが大きい。最近も布団専用クリーナ-「レイコップ」をヒットに導くなど、トーク力は健在だ。
これに対し旭人副社長は、自らが発案した「チャレンジデー」で新たな大量販売のモデルを築いた。1日限定で1商品をテレビやネット、チラシ、ラジオなどすべてのチャネルで徹底的に販売する取り組みで、当初、高田社長は反対だった。しかし「やらせてみると大成功で、本当に会社を変えるような効果があった」とのちに高田社長は嬉しそうに語っている。
もともとジャパネットは高田社長の父親が経営していたカメラ店から独立し、佐世保市内にカメラ店ソニーショップとして事業展開したことが始まりだ。1990年にラジオショッピングをスタートしたのを機に、夫婦二人三脚で成功を収めた(副社長だった妻は11年退任)。
かねてから高田社長は「100年続く会社にしたい」と発言しているが、長男に世代交代することで実現できるのか。社長自らが看板タレントとなることで成長してきたジャパネットは、新たなフェーズを目指すことになる。
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