5人に1人「生まれつき繊細な人」の幸福な感性 病気ではなく、資質であり、個性だ
繊細さんにとって繊細さは自分を構成する大切な一部分。「いっそ鈍感になれたらいいのに」と思うかもしれませんが、無理に鈍感になろうとすることは、背の高い人が身長を縮めようとするようなもので、かえって自信を失います。持って生まれた感性は封じ込めるのではなく、解放した方がラクになります。繊細さんは、繊細さを含めて自分を大切にすることで、人生を豊かにしていくことができるんです。
――繊細さんと非・繊細さんは、どのように向き合っていけばよいでしょうか。両者の関係は不登校の子どもと親との関係に通ずるように思います。ためらいなく学校生活を送ってきた親御さんは、子どもの不登校をなかなか受けいれられないというケースが少なくありません。
たしかに繊細さんは非・繊細さんとのコミュニケーションにおいて、「自分の感覚や気持ちをわかってもらえない」と苦労することがあります。そこで非・繊細さんには、感じ方のちがいを受けとめてもらえたらと思います。
共感や同意までいかなくてもいいんです。「そのくらいのことで大げさだ」などと否定せず、「私にはその感覚はないけど、あなたはそう感じるんだね」と、受けとめてあげてください。一方で、繊細さんにも心に留めておいてもらいたいことがあります。非・繊細さんにとって、繊細さんの訴えは「背中の羽根が痛い」と言っているようなものだ、ということです。
自分と同じでなくても
非・繊細さんは、繊細さんが感じているのと同じようには、感じていないことがあるのです。まさに「背中の羽根」のように自分にはない感覚を「わかって」と言われても、共感することは難しいのです。
私自身も親との関係で自分の感覚が伝わらない経験をしたことがあります。子どものころ私は、母が不機嫌なときのまな板をたたく包丁の音がいつもより強く聞こえて、イヤな気持ちになっていました。あるとき両親に「不機嫌なのがわかるから、包丁の音がイヤだ」と伝えたのですが、二人ともきょとんとしていました。父も母も、包丁の音で機嫌を感じとる私の感覚がわからないようでした。
家族が自分の感覚や気持ちを理解するすべを持っていないのはショックでしたが、それでも少しずつ感覚のちがいを受けとめることで、親との関係で悩むことは減っていきました。わかってもらえないのは悲しいことです。そしてちがいを受けとめるのは怖いことです。でも、わかってもらえないとき、かならずしも「わかろうとする気がない」わけではないんですね。「その感覚がないから、どうしてもわからない」ということがある。「自分の持つ感覚が相手にはないのでは」という視点も大切です。時間がかかっても少しずつ、ちがいを受けとめていけるといいのではないかと思います。
――どうしても自分の気持ちを「わかってほしい」と思ってしまうときは、どう気持ちを切り替えたらよいですか。
「わかってほしい」が勝っているときは、広い世界で、少しでも本音を話せる相手を探すといいですよ。なかなか理解が得られない人にアタックし続けることはおたがいにしんどいものです。SNSやHSP交流会の場などで、同じような感覚を持つ人や、仲よくなりたいと思える相手を探してみてください。たったひとりでもいいんです。
本音を話せる相手がひとり見つかると、「この世には私の気持ちをわかってくれる人がいるんだ」と、希望を持って世のなかを見ることができるようになり、2人、3人と本音を言える相手が増えていきます。最初にわかってほしいと思っていた人への執着も薄れていきますよ。