人間界で過ごした時間の記憶を完全に失い、空へと飛んでいくかぐや姫、そのイメージは実に詩的で美しい。彼女が帝に宛てた別れの歌には、「あはれ」という平安文学のキーワードの1つがさりげなく採用されているけれど、そのしみじみと湧き上がってくる気持ちこそが、姫の人間としての成長を表している。以前の、結婚を冷たく拒絶する女性とまるで別人になっており、記憶を消す羽衣を着ないかぎり、彼女は天人に戻れなくなったほどである。
悲しい場面なのになぜかシュールで滑稽
われわれ人間の愛は本当に深いものだな、と読みながら目がうるみそうになるが、お茶目で有名な、『竹取物語』の名もなき作者は、この感動の1コマまで見事にふざけてみせる。
心のこもった手紙をしたためて、不死の薬を入れた壺を準備したかぐや姫は、それを天人に渡して、天人は頭中将に渡して、頭中将が後に帝に献上するために預かるというリレーを想像してみると、なかなかシュールな絵である。姫や爺さんは、すぐそこに迫ってきている永遠の別れに苦しみ、悲しい涙で袖を濡らしている横で、餞別の品を律儀に手渡している人々がせわしなく動き回るさまは滑稽だ。
そして、その一連の動作が済むなり、天人は急いでかぐや姫に羽衣を着せて、100人ほどの集団がぞろぞろと飛んでいくが、その短くて端的な描写からは物事が素早いスピードに進んでいることが伝わってくる。近くからみたら涙ぐましい場面である反面、一歩を引いてその一部始終を俯瞰してみると、どことなくコミカルな仕上がりになっており、駄洒落好きな作者の独特なタッチが感じられる。
もしも違う作者だったら、『竹取物語』はこのシーンで終わっていたのかもしれない。ストーリー自体は完成しているし、人間の愛は天人まで変えられるほど強いものだという教訓もばっちり入っているし、まさに笑いあり、涙ありの感動のドラマになっている。しかし、『竹取物語』を創造した作者は、いつも期待以上のことをやってのけるので、最後もさらなる努力をして、才筆を振るう。
周知の通り、『竹取物語』に酷似した話は『今昔物語集』にも含まれており、それ以外にも同じようなモチーフを用いた説話が数多く存在していたと思われる。しかし、全部は残されているわけではないので、正確に比較するのは難しいものの、それらの先行文学は似ているとはいえ、やはり『竹取物語』では必ず何かが足されている。
3人の求婚者が5人に増えたり、帝まで出演したり、前世の罪という謎がちらついたり……プロットのどの部分においても作者は何かしらの新しいコンテンツに挑戦している。最後の「ポストかぐや姫」の話もまさにそのようなオリジナリティのたまものである。
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