日本の会社があまりに停滞している根本的理由 「会社」と「企業」は一体どこがどう違うのか

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しかし、今日重要なのはイエ的という日本の特殊性のほうである。奇しくも、先日の「東洋経済オンライン」で、山口真由氏による「老親の事故で子も責任?『家社会』日本の大難題」という記事があった。家族法、アメリカの家族と日本の家の根本的な違いが社会に大きな影響を与えているという議論だが、まさにその通りなのである。

「会社」と「企業」の違いとは?

日本の会社は、何のためにあるか。不明である。少なくとも「利益の最大化」ではない会社が多い。

一方、企業とはヨーゼフ・シュンペーターの議論にもあるように「企てる主体」である。一方、日本の会社は企てない。会社のそもそもの定義上は、商行為を目的とするとは限らない。ファーストリテイリングのような企業はともかく、新しい事業を起こし、秩序を破壊しない。家業として歴史的に、社会的に、与えられた事業を営み続ける主体として会社がある。それがもとは家だったのが組織になり、会社に変わったのである。

日本では明治時代にカンパニーを訳すのに、企業ではなく会社、という言葉を使った。さらに会社法は当初存在せず、民法であり、それを受ける商法であった。大きなくくりでの会社法の成立は21世紀になってからであり、そのときも、企業法は一般名詞として残り、法律の固有名詞は会社法になったのである。イエという概念が根底に残り続けているのである。

商法も、第2次大戦後、大陸的な(欧州的な)明治時代の民法および商法のうえにアメリカ的な商法を継ぎ足したものであり、そこが混乱の始まりだった。

山口氏がいうように、社会が家から個人へ移行するときに、さまざまな矛盾、摩擦が生じる。正確に言えば、社会や人々の戸惑いなのだが、それと同様に、法的にも日本の会社から英米法的な企業への移行をはっきりとした革命を起こさずに、断絶なしに、なし崩し的に行っているために、さまざまな混乱が生じているのである。

企業の目的は何か。利益の最大化であり、企業価値の最大化である。英米法的な考えでは、企業価値とは株主価値であるが、日本では、まずそこから反発が起こり、今でもそれは消えていない。

消えていないどころか、欧米で流行してきたCSR(社会的責任)、ESG(環境・社会・ガナバンス)を誤解して「企業の目的は利益ではなく、社会とのバランス」などと解釈しているところもある。違う。英米法的な枠組みでは、それはCSRやESGという制約条件を社会が厳しくしてきたので、以前よりも厳しい制約条件の下で、利益、企業価値の最大化、株主価値の最大化を図っているのである。

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