新年度に入ったが、日本は何も変わらない。アメリカはジョー・バイデン大統領が事前の評判と異なり、大胆に動いている。賛否はあるだろうが、アメリカは大きく動き出している。
経済もそうで、ワクチン効果もあるが人々が前向きで、中国とともに世界経済を牽引し始めている。世界の一部では景気がよすぎて、過熱をどこまで警戒すべきかが争点となっているくらいだ。
未来はともかくいまは「アメリカ」に目が向いている。「『アフター・コロナ』は意外に明るい時代になる」と言った、この持ち回り連載者の1人、かんべえ(吉崎達彦・双日総合研究所チーフエコノミスト)氏の時代である。まさに日本とはえらい違いだ。日本は経済も政治も停滞している。なぜなのだろうか。
そこで今回は、かんべえ氏との「連載者のなかでの内輪論争」を超えて、外部の大物にチャレンジしてみよう。完全にはかみあわないかもしれないが、東洋経済新報社の歴史上、もっとも売れている経営書のひとつとも言われる『ストーリーとしての競争戦略論』を書いた楠木建・一橋大学教授に、建設的な論争を挑もうではないか。
そもそも「会社」とは何か
楠木氏は2021年度の始まりである4月1日に、日本経済新聞の経済教室で『日本企業』という企業はない」と宣言した。「日本企業という集合名詞を主語にすると、ザルの目が粗すぎてまともな議論にはならない」「競争力は個別の企業の中身を見なければ分からない」というのが要旨のひとつだ。
いや、「ある」のではないだろうか。「日本企業」、正確に言うと「日本的な会社」はやはり存在する。その概念が幅広く残ったまま、一般論としての企業を持ち出し、それとの比較で日本の会社が語られるので、議論も経営も世の中も混乱してしまうのである。そこで、今回は日本の会社と企業について議論してみよう。
そもそも、会社とは何か。
実は、これは20年ほど前に大論争になったことがる。恩師でもある経済学者の岩井克人氏によると「会社とは法人であり、ヒトでありかつモノであり、この二重構造が本質だ」という。古くから言われているのは、日本の会社とは「イエ的なものである」という点であるが、岩井氏は、この日本の特集性に関する議論を法人の普遍的な議論に発展させ、そのなかで「日本的な会社」「アメリカの企業」を位置づけた。
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