老親の事故で子も責任?「家社会」日本の大難題 問われるセーフティーネットの今後のあり方
日本の「家」制度はセーフティーネットだった
夫婦別姓が求められる今、日本の「家」制度なんて保守的だという風潮は強いだろう。だが、日本の「家」には経済的に脆弱な者を守る機能があって、社会におけるセーフティーネットの役割も果たしてきたとされる。
仕事をリタイアした親、結婚がうまくいかずに実家に戻った娘、独り立ちできずに引きこもる息子──単体なら経済的に立ちいかなくなるかもしれない人々も、食べものや住むところに困らないよう面倒をみてもらえる。
「家」はその中にいる人を守る。だが「家」が究極的に守ろうとしているのは、「個人」ではなく「家」そのものである事実を忘れてはならない。
浅田次郎氏が、読売新聞に連載した小説が『流人道中記』(中央公論新社)という本になっている。青山玄蕃(あおやま・げんば)という旗本は、罪を犯したのに切腹を拒む。処分に困った評定所は、玄蕃の身柄を松前藩に預けることにする。江戸から蝦夷地へは片道1カ月の長旅だ。道中の押送人として選ばれたのが、物語の語り部──19歳の見習与力・石川乙次郎(いしかわ・おとじろう)である。
最初こそ反発した乙次郎だったが、やがて玄蕃の不思議な魅力に惹きつけられる。玄蕃は、格式ある家柄の旗本だ。乳母日傘で育てられたこの男は、下々と交わったことなどないはず。それなのになぜか、道中で出会う無名の人々に向けられる玄蕃の視線は限りなく優しい。そして、貧乏町人の生活を、乙次郎よりもなおリアリティーを持って理解している。
厄介事を見事に解決し人々を助ける、この玄蕃は何者なのか? 彼は、いかなる罪を犯したのか? 後半に明かされる玄蕃の生い立ちと、その引き受けた罪は、深く胸を打つ。だから、読むおつもりがある方は、ここから先の多少のネタバレをスキップしていただかなくてはならない。