何でも入手できる米国「精子バンク」の驚く値段 家族法研究者が考える「選択的シングルマザー」
真剣に考えた「シングルマザーになる方法」
「卵巣年齢50歳」
春を待つうららかなある日、それでもどこか憂鬱そうな女性たちが不妊治療クリニックの待合室にはあふれている。名前を呼ばれて診察室に入った私は、そこで医師からそう告げられた。帰りの山手線の車内で泣けてきてしまった私は、そこで、「子ども」という問題を突きつけられる。
私の卵巣のタイムリミットはどうやら迫っているらしい。それなのに、私には「結婚」と「子ども」という超えがたいハードルが2つもある。これから誰かと出会って、結婚して子ども。そんな悠長なことをしている時間があるのだろうか。
そう考えたときに、私は思い出した。留学中の私は、シングルマザーになる方法を真剣に考えていたのだった。いや、人生の選択としてではなくて、授業の課題だったのだけど。
2016年、ハーバード・ロー・スクールの春学期の授業で、私は「子どもを産む権利と正義」というクラスを選択した。内容は、避妊とか、中絶とか、出産とか、子どもを産むか産まないかという選択にかかわるもの一切合切。ゼミ形式の少人数のクラスは座学だが、体験学習も含まれていた。
いくつかある体験学習の課題の中から私が選択したのは、「シングルマザーになるには?」というテーマだった。「選択的シングルマザー」という言葉を耳にしたことがある。妊娠をしたものの、付き合っていた男性に父になるのを拒否されシングルマザーになることを強いられたのではない。はなから自分の意図でシングルマザーになることを選択した人を指す。
これを「新しいライフスタイル」と手放しで称賛するつもりはもちろんない。母になりたいというエゴを、子どもに押しつけている。そういう側面は確かにあるだろう。