国民に自粛を呼びかけながら、自粛していなかった政治家への批判が強まっている。
緊急事態宣言下で与党の国会議員が深夜まで銀座のクラブなどに外出をしたり、複数の国会議員が博多のふぐ料理店で宴会をしたり、さらには議員秘書がカラオケバーで飲酒を伴う会食をしてクラスターが発生した事案も報じられた。昨年12月に菅義偉首相が自民党の二階俊博幹事長らとステーキ店で会食していたことが判明して以降、次々と国会議員の会食や夜の外出に関する挙動が国民の怒りを買っている。
これは、新型コロナウイルスに感染した自民党元幹事長の石原伸晃衆院議員が、無症状にもかかわらず既往症が懸念されるとして、東京都内の病院に入院したことが「上級国民」疑惑を招いたことと表裏一体である。
政治不信の蔓延に拍車をかけている
医療体制が逼迫する中で、同様に既往症がありながら自宅療養を強いられている感染者が多く、自宅療養中の死亡者も現れている状況下で、「なぜ与党の国会議員だけが優先的に入院できたのか」と不満が噴出したのである。
つまり、国民には医療アクセスへの制限を課すが、自分たちはその制限の外にいるというふうに解釈できるメッセージは、「国民に自粛を求めながら自分たちは自粛しない」というメッセージと重なり、為政者の国民生活への影響に対する危機意識のなさ、無関心といった政治不信の蔓延に拍車をかけているのだ。
日本のコロナ対策は、主として法的強制力を行使しない自粛要請に頼ってきたが、これは権威がある程度機能していることが前提になっている。権威のシンボルともいえる為政者への信頼が失墜すれば、当たり前だが自粛に応じる動機が失われる可能性は高い。すでに都市部を中心に「コロナ慣れ」が横行している状態だけに、これが最後のひと押しとなることは容易に想像できる。いわば順法精神を欠いたトップの命令を誰が聞くのかという話になるからだ。
そうすると、社会心理や精神分析の研究で有名なエーリッヒ・フロムの古典的な図式が、以前から世間を騒がせていた分断をより深刻化させる根拠として説得力を持ってくる。
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