政治家の不誠実が社会の分断に拍車をかけた訳 経済優先派と人命優先派の溝を深めてしまった

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日本は比較的外部の権威に依存しがちな権威システムが効力を発揮する社会であるが、フロムによれば、仮に権威が失墜したとしても、人々が別の新たな権威に向かうと考えており、権威システムそれ自体は維持されるとみているのである(『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社)。つまり、「まともな為政者」がいないのであれば「まがい物のインフルエンサー」に流されやすいというわけだ。

以前からの対立が激化していたのは、コロナ否認とコロナフォビア(恐怖症)である。もはや国家に適切な役割を期待することができない以上、「コロナはただの風邪」と割り切って自粛しないほうが心理的には楽であり、コロナ否認は医療の逼迫や健康弱者への配慮には目をつぶる傾向が加速するだろう。そういった立場を表明しているインフルエンサーは多い。

政府の無能ぶりと政治家の不品行が招く事態

「ファクターX」はいまだ不明であるが、欧米諸国に比べて相対的に少ない日本における死亡者や重症者の割合などを踏まえれば、「コロナはただの風邪」であるから経済を止めるなという意見は強まるだろう。そして、国家の機能不全は、むしろ「それでも被害は最小限に抑えられている」有力な証拠となり、ダブルスタンダードが暴露された緊急事態宣言はますます茶番劇の様相を呈していく流れが止められない。

そのような言説に後押しされて、コロナ危機が政治的な陰謀を隠すための偽装工作であるとの認識が活性化され、容易にワクチン不要論とも結び付いてしまう恐れがある。政府への信頼感とワクチンの受容レベルが比例しているとする調査研究があるが、悲しむべきことにおよそ1年にわたる政府の無能ぶりと政治家の不品行は、一般の人々のワクチン忌避を促進しかねない。

一方、コロナフォビアは、感染した場合の後遺症を含めた健康リスクだけでなく、社会的な不利益がより大きなものになっている現状を重視し、自衛のためのステイホームと感染症予防を強化せざるをえず、ニューノーマルに従わない人々への不快感が増大することだろう。

最近はやりの「ウレタンマスク警察」「不織布マスク警察」のような、神経質な人々による自警団的な動きを拡大させていく恐れがある。すでにマスクをしないというだけで異人種を排斥するかのような振る舞いが各地で起こり始めている。

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