政治家の不誠実が社会の分断に拍車をかけた訳 経済優先派と人命優先派の溝を深めてしまった

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健康上の理由などといった個別の事情を一切考慮せず、マスクの不着用をもってして公共の秩序を乱すトラブルメーカーとして取り扱い、衆人環視の下、強制的に排除するような出来事が相次いでいるのだ。為政者が何の役にも立たないように感じられる「権威のカオス」は、細かなルールのような小さな権威に従属したり、妄信したりするような態度を招きやすい。

先の科学的データを聖典のごとく振りかざし「不織布マスクしか認めない」とする硬直性はその典型といえる。マスクをしない者を公共空間から一掃することで、マスクをニューノーマルという市民宗教的な装飾、イデオロギーの道具にまで高めているのである。要は、マスク着用の有無で「どのような(過激な)思想の持ち主か」を識別するというわけだ。この傾向はより先鋭化しそうな気配がある。

蓄積された不安が被害者意識の起爆剤に

ここにおいて、蓄積された不安が被害者意識の起爆剤のようなものと化している。高齢者や基礎疾患を持つ者のリスクが軽視され、医療キャパシティーの拡充に本腰を入れているようには見えず、加えて事業者への資金面での援助は圧倒的に不公平で、まさに焼け石に水の状態であることが明確になった今、「このままでは為政者に殺される!」といった切迫した思いを抱く人がいるかもしれない。

そうした中で、「コロナはただの風邪」と言い、自粛を守らず、飲み会やカラオケなどに繰り出す人々がすべて敵に見えても不思議ではない。

そもそも、このようにリスクの受け取り形によって人々に分断を生じさせる、新たな病原体によるパンデミックの危険性は、2018年に発表されたジョンズ・ホプキンス大学の報告書で予見されていた(“The Characteristics of Pandemic Pathogens”)。

無症状者や風邪と似た症状が多い特性があり、かつ致死率が高くないものにこそ人々は油断をするため、いとも簡単に感染爆発を招いて健康弱者に死と重症化をもたらすと警鐘を鳴らしていたのだ。

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