そんな2人と並んで「維新の三傑」の一人とされるのが、長州藩の木戸孝允である。渋沢から見て、木戸はいかなる人物だったのだろうか。
渋沢が木戸と初めて会ったのは、明治4年。渋沢がまだ大蔵省に身を置いていた頃である。
「木戸公がお見えになりました」
湯島天神の自宅にいた渋沢は、取り次いだ者からそう言われると、耳を疑った。参議という高い役職にいる木戸が、まさか自分の自宅を訪ねてくれるとは思いもしなかったからだ。
木戸が渋沢の元を訪れた理由とは
恐縮しながら、木戸を座敷に通した渋沢。いったい何の用かと思えば、大蔵省に勤める江幡という人物を、大政官で採用したいのだという。
「彼の学識については十分に調査もしてあり、また承知もしているが、その人柄が果たしていかなるものなのか、これがはっきりわからないので困っている。そこで彼についてあなたの観たところを、隠し立てなく私に申し聞かせてくれ」
お安い御用と江幡の人となりを丁寧に木戸に説明した渋沢。そんな用件で、わざわざ自分のような下級官僚のもとを訪ねてきた木戸に感心して、こんなふうに言っている。
「木戸公がいかに人を用いるのに細心の注意を払われ、適材を適所に配置しようとすることにお心を傾けられていたかがうかがい知れる」
いつも大局観を持って国家の運営にあたった大久保と西郷。その強烈な個性に挟まれながら、調節役として心身をすり減らした木戸。
そんな3人にも影響を受けたのだろう、渋沢は実業家の立場で、国全体が進むべき方向を、大久保や西郷のごとく、いつも大きな視点で考えていた。そして、それぞれの事業に携わる人々を尊重し、木戸のごとくみなと協調しながら、国家の近代化に大きく貢献することになるのだった。
【参考文献】
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
渋沢栄一『青淵論叢道徳経済合一説』(講談社学術文庫)
幸田露伴『渋沢栄一伝』(岩波文庫)
木村昌人『渋沢栄一――日本のインフラを創った民間経済の巨人』(ちくま新書)
橘木俊詔『渋沢栄一』(平凡社新書)
鹿島茂『渋沢栄一(上・下)』(文春文庫)
渋澤健『渋沢栄一100の訓言』(日経ビジネス人文庫)
岩井善弘、齊藤聡『先人たちに学ぶマネジメント』(ミネルヴァ書房)
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