井上馨といえば、「カミナリオヤジ」といわれるほどのかんしゃく持ちとして知られていた。
渋沢と同様に、腹を割らない大久保のことは好きではなかったようだ。当時の大蔵省では、渋沢の上長が井上にあたり、井上の上長が大久保にあたる。大蔵卿を務めていた大久保は、下の役職にあたる2人から嫌われていたことになる。
ある宴席では、上長の立場にあたる大久保に対して、井上は酔っ払ってこんな暴言を吐いた。
「お前は、妙に様子ぶっとるばかりで、何も仕事はできやせん。そのくせ威張るだけは威張っとる。そんなヤツがおるから、世の中がうまく治まらんのだ」
大久保が相手にしなかったので事なきを得たが、なかなかの豪胆な男である。そんな井上も、渋沢とは馬が合ったようで、ほとんど怒ることはなかったという。
西郷の真意は「廃藩置県をやろう」
そんなある日、井上は渋沢を呼び寄せた。何でも西郷の「まだ戦争が足りない」の真意が明らかになったのだという。
「わかったよ、わかったよ、このあいだ西郷のトボケた意味が……」
西郷が発した「戦争が足りない」という言葉の真意について、井上は渋沢にこう解説した。
「あれは廃藩置県をやろうということだ。そうすれば戦争になるかもしれないから、ああいったのだ。薩摩と長州が主になっているから、それをほのめかしたそうだ」
つまり、朝廷と政府の権限については、国内がもっと安定してから話すべきことで、そのためには、明治政府は廃藩置県を断行しなければならない。しかし、旧藩主たちが黙ってはいないだろう。そのため、明治政府はすぐに戦争の準備をしてから、廃藩置県を行うべきだというのが、西郷の考えだったのだ。
あまりにもわかりにくく、これには渋沢も「論理の飛躍だ」とあきれながらも、「西郷隆盛とはこんな調子だった」と振り返っている。
西郷のいうとおり、明治政府は廃藩置県を断行。戦争にはならなかったものの、衝突を覚悟して事にあたり、改革に成功している。幕末志士のなかでも、大久保と西郷は、ほかの者とは見えている範囲が違ったようだ。
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