マイクロソフトの販促物がムダに豪華な理由 広告宣伝と「コストリー・シグナリング理論」
実際、普通郵便で(さらに悪い場合は大口郵便で)「限定された方への招待状」を送ることは自己矛盾しているだろう――「限定された方へのこの招待状を数多くの人に送っています」と伝えていることになる(だから、真に排他的なクラブはマスメディアで宣伝しないのだ)。
そういうわけで、われわれが作成した包みは手の込んだものだったし、大量に作るには不経済だった――そして、それは賞も獲得した。
メッセージにコストをかけることの意味
だが、私がこのことを思い出すのは、アメリカ中西部出身で経理部長だったスティーブ・バートンとこのプロジェクトに取り組んだからだった。
彼はプロジェクトの概要を伝えるにあたり、こんなことを言った。「いいかな」彼は言った。「きみたちにはひときわ目立つ創造的な仕事をしてほしい。だが、できないというなら、便箋1枚分の本当にすばらしい手紙を書いてくれ――そうしたら、それをフェデックスで送ろう」
スティーブは生物学者が「コストリー・シグナリング理論」と呼ぶものを効果的に表現してみせたのだった。あるものが伝える意味や意義は、それを伝えるものの費用に正比例するという事実だ。
あなたが何かを受け取ると想像してほしい――フェデックスで送られた封筒を開けずに捨てられるだろうか? そんなことができるはずはないと言ってもいいだろう。
われわれが受け取り手に求めたのは情報を知ってもらうことだけではなかった。注目してもらい、納得してもらい、重要だという感覚を持ってもらいたかった。経済的に合理的な50ペンスの切手を貼った封書では得られないが、料金が10ポンドのフェデックスの封書でなら得られるものだ。
結局、そのキャンペーンは大成功だった。ほぼ全員が包みを開けて中身に目を通した――そして10%以上の人が、かなりの努力を要するにもかかわらず、この製品を試したのだ。
2018年なら、デジタルを用いる合理主義者がこう提案しただろう。数百人のIT部門の上級職に連絡を取るには、フェイスブックを通じてか電子メールを送ればいい、と――幸いにも、この2つの選択肢は1990年代半ばのわれわれには使えないものだった。
こういう選択肢を提案する人は論理的には正しいが、感情的には完全に間違っているだろう。ビットは情報を運ぶものだが、値の張るものは意味を伝えてくれる。
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