マイクロソフトの販促物がムダに豪華な理由 広告宣伝と「コストリー・シグナリング理論」
コミュニケーションの有効性や有意性は、それを創造するコスト――それを創造・分配するためにどれほどの苦痛や努力や才能(あるいは才能がない場合は、出演料がかかる有名人や値の張るテレビ放映枠)を費やしたのか――に正比例している。これは効率が悪いかもしれない――だが、そのおかげでうまくいっているのだ。
ごく単純に言えば、力のあるすべてのメッセージにはばかばかしさ、不合理さ、犠牲の大きさ、不均衡、効率の悪さ、希少性、困難さ、浪費といった要素が含まれていなければならない――なぜなら、あらゆる強みにもかかわらず、合理的な行動や会話は何の意味も伝えないからである。
ナイキのキャンペーンが意図したもの
ナイキは2018年のキャンペーンの象徴としてコリン・キャパニックを選んだ。キャパニックは試合前のアメリカ国歌斉唱時に立たないでひざまずくという慣習をもたらしたアメリカン・フットボール選手だが、ナイキが彼を選んだのは勇敢さを通じてコストを伝える1つの例である。
キャパニックは出演料が高い人材ではなかった――彼のキャリアは不安定だった――が、勇敢だった。彼は警察の残虐行為に対するNFLの抗議とほぼ同一視された人間だったからだ。
このナイキのキャンペーンが示すように、短期的な自己利益と無関係な行動をとることによって、意味が伝えられる――われわれは自分たちが払うコストや負うリスクによって意味を伝えられるのである。
本書で最も重要な考え方の1つは、チープトークよりも価値があるものを生み出せるのは、狭量で短期的な自己利益という姿勢から外れた場合だけだということだ。
したがって、合理的で経済的な理論の指示に従っているのみでは、信頼や愛情や敬意やよい評判やステータスや誠意や寛大さ、あるいは性的なチャンスは生まれない。
もし、進化にとって合理性が価値あるものなら、会計士がセクシーということもありうるだろう。だが、男性のストリッパーは会計士の格好ではなく、消防士の服装をしている。大胆さはセクシーだが、合理性はセクシーではないのだ。
この理論をさらに拡大できるだろうか? 例えば、韻文が散文よりも感動的なのは、書くことがいっそう難しいからだろうか? また、話すよりも歌うほうが難しいから、音楽は普通のスピーチよりも感情に訴える力が強いのだろうか?
(翻訳:金井真弓)
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