マイクロソフトの販促物がムダに豪華な理由 広告宣伝と「コストリー・シグナリング理論」
Eメールを送って結婚式に客を招待する人はいない。結婚式の情報(そのすべては1通の電子メールで事足りるはずだ――携帯のショートメッセージ1通でも充分かもしれない)を金箔が型押しされたカードで送ると、多額の費用がかかる。
同じ日に行われる2件の結婚式の招待状を受け取ったと想像してほしい。1通は金縁で型押し加工された高級そうな封筒で来て、もう1通(これもまたそっくり同じ内容だ)はEメールで来たとする。正直になってみよう――あなたは最初の招待状のほうの結婚式に行くのではないだろうか?
才能やユーモア、努力という資源を用いる
結婚式の招待状の紙代や印刷代に金を注ぎ込む余裕がないなら、私が「創造性」と呼ぶ、もう1つの稀だが便利なものを使うといい。もっとも、創造性にはさまざまな才能が含まれる。デザイン、芸術性、職人技、美、撮影の才能、ユーモア、音楽的才能、いたずら好きな大胆さすらも。
手作りのバースデーカードは高価な市販製品より安っぽくなりがちだが、より心を動かすものになるだろう――しかし、それにはある程度の努力が必要だ。結婚式の招待状として、自作の歌を吹き込んだビデオもありうるし、充分に才能があり、まあまあの価値がある作品ならメールで送ってもいいだろう。
だが、簡潔で事実に基づいたおもしろくもないメールで招待してはいけない――それには何の創造性もないし、事実が述べられただけのものだからだ。
このような招待状の意味は、コストがかかる資源を消費することから生まれる――つまり、金銭でないならば、才能や努力、あるいは時間やスキルやユーモアや、場合によってはきわどいユーモアや大胆さといった資源だ。しかし、何かコストのかかるものがなければ、それはただの騒音(ノイズ)にすぎない。
効果的なコミュニケーションをとる場合、いつもある程度の不合理さが必要になるだろう。完全に合理的になれば、水と同じように何の味もしないものになるからだ。このことから、広告代理店との仕事がいらだたしいものになる理由が説明できる。優れた広告を生むことは難しいが、優れた広告が優れているのは、生むのが難しいからなのだ。
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