ワクチン開発のカギ「病原体」を手に入れる裏側 どこかが独り占めしたらどういうことになるか

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このようにして、感染症危機管理のチョークポイントが締まることのないよう、新型インフルエンザに関する利益の公正かつ衡平な配分(Access and Benefit Sharing=ABS)が図られている。

ABSに関する国際的な枠組みとしては、名古屋議定書も重要だ。PIPフレームワークは、パンデミックを引き起こす可能性のある新型インフルエンザウイルス株のみを対象とする一方、名古屋議定書はあらゆる病原体の入手に広く影響を及ぼしかねないとして、各国が懸念している。

名古屋議定書は、生物多様性条約の目的の1つである「遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分(ABS)」の実効性を高めることを目的とした法的拘束力を有する国際文書。同文書は遺伝資源(有用な遺伝子を持つ動植物や微生物)を利用した場合に得られた利益について、金銭の支払いや共同研究への参加を通じて、資源提供国と利用国とで分け合うことを定めている。

具体的には、病原体を入手する企業は、病原体原産国政府による「事前同意(PIC)」の取得に加え、原産国内の実際の病原体提供主体(研究所など)との間で「相互合意条件(MAT)」という契約を締結する必要がある。その際、病原体原産国に対する利益配分規定が盛り込まれる場合もありうる。

日本の前に立ちはだかる課題

こうした国際枠組みは、感染症危機管理のチョークポイントが締まることの防止に貢献しているように見える。しかし、現実はそう単純ではない。日本の経済安全保障に悪影響を及ぼす可能性のある課題も指摘されている。

まず、名古屋議定書の存在そのものが、確立されたPIPフレームワークの存在を脅かす可能性がある。現時点では、理論上、名古屋議定書はあらゆる病原体に適用される(ABSについて規定したほかの国際文書がある場合には適用しない、とも規定しているが、PIPフレームワークがそれに含まれるか否かは確かではない)。

企業の新型インフルエンザウイルス入手に際し、PIPフレームワークに重複して名古屋議定書が適用されてしまう場合、病原体原産国政府、および提供者と利益配分規定のあるPICやMATを締結する事務手続きも生じる。結果、そのコストはワクチンの価格に上乗せされると同時に、契約締結作業によって迅速性が失われるおそれがある。

季節性インフルエンザウイルスをPIPフレームワークの適用範囲に含めるか否かという議論がWHOの場でなされているが、その場合の悪影響も懸念される。PIPフレームワークが季節性インフルエンザウイルスに対しても適用されることになれば、企業は毎年WHOに対して金銭的、および物的貢献をせねばならず、そのコストは毎年のワクチンの価格に上乗せされるだろう。

万一、名古屋議定書も季節性インフルエンザウイルスに適用されてしまう場合は、コスト上乗せに伴うさらなる価格上昇に加えて、病原体原産国政府や提供者とのPICおよびMAT締結作業がワクチン生産プロセスを遅延させる可能性も出てくる。

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