今の日本人は、本当に教養がないのか? 三井物産・槍田会長×ライフネット生命・出口会長(1)

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教養を育むなら「人・本・旅」

出口:僕も「最近の若い者は」などと言うのは、だいたい本人が退化しているのではないかと思っています(笑)。

「戦後教育は間違っていた」とか、「若い人は教養がない」という意見を目にしますが、それをよく読むと、どうも旧制高校と比べている人が多いように思う。でも当時と今とでは大学生の絶対数が違うわけで、今は50%以上の若者が大学に行くわけですから、大学進学率が1割に満たなかった頃とは比較にならない。

「昔の日本人は教養があったけれど、今の日本人は教養がない」という言い方は非常に皮相的で、昔も今も勉強する人はするし、遊ぶ人は遊ぶ。それほど人間は変わるものではない。日本には日本のいいところがあり、教養のある人は多いと思っています。

槍田松瑩(うつだ・しょうえい)
三井物産会長
1943年、東京都生まれ。東京大学工学部卒業後、三井物産入社。ロンドン支店駐在、日本ユニバック(現日本ユニシス)出向、業務部長などを経て、2002年社長、09年より会長を務める。

槍田:そうですね。文化の基準が西洋のほうに移っていった感じで、それと比べて日本が劣っているという見方をするのであれば、それは違うのではないかと思いますね。

出口:教養というより、むしろ単なるデファクト・スタンダードだと考えたほうがいいと思います。たとえば、世界の共通語がプア・イングリッシュになったのは、19世紀にある程度完成した欧米のシステムがたまたま世界中に行き渡ったからにすぎません。それは槍田さんのおっしゃるように、ひとつのスキルにすぎない。

槍田:教養はいろいろなかたちで身に付いていくので、やり方は人それぞれだと思います。あちこち旅をしながらいろいろな人と話をしたり、さまざまなものを見たりして自分を鍛えていく人もいるでしょう。身に付けるための方法は、ひとつや2つの定型だけではないと思います。

出口:僕はよく「人・本・旅の3つからしか人間は学べない」と言っています。つまり人間と人間の社会をよく知るためには、たくさんの「人」に会って、いろいろ教えてもらう。それから自分で「本」を読む。そしてできるだけ多くの場所に「旅」をして、現場の空気を吸い、そこで働いている人をよく見て、「ああなるほど、この地域の人たちはこういうふうに生きてるんだな」と体で理解するのが早い。それで「人、本、旅」と言っているのです。

教養を身に付けるには本を読むことだと限定される方がいますが、僕は極論を言えば、たとえば日本の大学で4年間勉強して全部優をとって1番で卒業することと、4年間、外の世界を放浪することとでは、どちらが賢くなるかわからないと思っています。

古典を読むのは、巨人の肩に乗ること

槍田:出口さんも、たくさん本を読んでおられますよね。私は大学時代、テクノロジーを勉強していましたが、サイエンスとかテクノロジーというのは、積み重ねが効くんですね。つまり前の時代に到達した研究に新しい研究を積み上げていくことで、ここまで発展してきたわけです。

でも人としての教養みたいなものを、同じように積み上げていけるかというと、難しいものがあります。人間はみんな真っ白な状態で生まれてきて、70歳や80歳で死んでしまう。その間にどれくらい自分が人間として積み上がるかは、いつもゼロからのスタートです。普通は人生経験を通じて教養を積んでいくんでしょうけれど、やっぱり自分ひとりの人生体験には限界があります。

ところが本を読めば、何十人、何百人、何千人分の経験に、間接的ではあるけれど触れることができる。本で得た知識をベースに判断したり考えたりすることは、自然科学やテクノロジーでいう積み上げと似たような効果があります。

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