それは、20年近く様々なアップデートが行われながら作り続けられたカウンタックに対して、ボーラには実質的にデ・トマソによるマネージメントが始まるとともに、その命脈を絶たれたことだ。
不幸なことに、ボーラが“まともに”生産されたのは、たかだか3年間にすぎなかったのだ。 アルフィエーリらは、ボーラの未来に対して様々なアップデート・プランも検討しており、その1つはコンセプトモデルのみで終わってしまった「ブーメラン」でもあった。
まとめてみるならば、ランボルギーニというブランドのショーケースとしてあらゆるユニークな手法を採用したカウンタックに対して、ボーラはマセラティという確立していたグラントゥーリズモ・メーカーとしての立ち位置を外れることなく、未来へ向けての提案を加えたといえよう。
奇しくも同じ瞬間にデビューを飾った両車であったが、そのコンセプトも、仕上がりもまったく対照的だ。しかし、同時にそれぞれのブランドの未来に向けた重要な戦略モデルでもあった。
翻弄され続けてきた歴史
今日に至る50年の歳月は、両ブランドにとって決して平坦なものではなかった。
ランボルギーニはカウンタックの商品化まで、それから3年間の月日が費やされた。そして、カウンタックの生産体制確立とともに、チーフエンジニア、そしてCEOとして会社の舵取りを任されていたパオロ・スタンツァーニは社を去った。
残念なことにその後の経営は迷走し、1978年には裁判所管轄となってしまう。1987年にクライスラーの傘下となったものの、経営トップ、アイアコッカの失脚によりインドネシア資本へと売却され、不明瞭な経営が続いた。
マセラティも、オイルショックの直撃を受けた親会社シトロエンの破綻により、連鎖して1975年に資産凍結を宣言された。産業復興機構による投資の元、アレッサンドロ・デ・トマソがマセラティの舵取りを行ったものの、突然の彼の死去により、フィアットグループ入りとなる。
そして、ブランドの行く末はフィアットグループの混乱に翻弄された。
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