宇宙一壊れた「マセラティ」にエールを送る理由 ビトゥルボ生誕40周年、危機を救った立役者

✎ 1〜 ✎ 21 ✎ 22 ✎ 23 ✎ 最新
拡大
縮小
1981年に発表された最初期のビトゥルボ(写真:MASERATI S.p.A.)
この記事の画像を見る(13枚)

以前、「『カウンタックとボーラ』の似て非なる盛衰」でも書いたように、今年は1970年代を代表するスーパーカーのアニバーサリーイヤーとして大いに盛り上がっている。

今回は、そういったインパクトの強いモデルの陰に隠れて生誕40周年を迎える、ある重要なモデルについて取り上げてみたい。今回のお題は、マセラティ「ビトゥルボ」である。

ビトゥルボが生まれた1981年を振り返ってみよう。

東洋経済オンライン「自動車最前線」は、自動車にまつわるホットなニュースをタイムリーに配信! 記事一覧はこちら

この頃はまさに自動車、特にスポーツカーにとって逆風が吹き荒れていた時代だった。環境問題や安全対策への対応で、自動車メーカーは日々その対応に追われ、必要とされた巨額の投資に四苦八苦していたし、オイルショック以降、大排気量のスポーツカーのマーケットは縮小するばかりであったのだ。

特にフェラーリ、マセラティ、ランボルギーニの本拠地イタリアにおいては「鉛の時代」と称され、誘拐やテロが頻発した。高価なクルマに乗ることは「誘拐してくれ」とアピールしているようなもので、クルマに乗るだけでリスクを持つこととなった。

また、厳しい財政に苦しむイタリア政府は、こういったラグジュアリーカーに贅沢税をたっぷりと課した。2001cc以上の自家用車を購入しようとするなら、38%にも及ぶ取得税を払わねばならなかった。

自らの限界を打破するために

そんな中で、新たにマセラティの舵取りを任されたアレッサンドロ・デ・トマソは、2000ccクラスの小さな高級車を手頃な価格で売るという新プロジェクトに取りかかった。それがビトゥルボだ。

それまでマセラティは、3.0~5.0リッターの大排気量エンジンをベースとした高価なスポーツカーを主力としていた。

ビトゥルボに先駆けフラッグシップの「クアトロポルテⅢ(ロイヤル)」もラインナップされた(写真:MASERATI S.p.A.)

スタイリングからボディ製造までをトリノのカロッツェリアに任せていたから製造コストも高かったし、大量生産もできず、年間500台前後の販売がいいところだった。要は、そのようなビジネス構造がマセラティにとって、成り立たなくなっていたのだ。

ビトゥルボは、その伝統的なモデナのスーパーカーメーカーの作法をことごとく変えたモデルであった。小型のV型6気筒 2.0リッターエンジンを開発し、当時アメリカで大ヒットしていたBMW「5シリーズ」と同クラスのサイズとし、シンプルな2ドア4座のクーペボディと組み合わせた。

次ページ年産500台から5000台へ、ビトゥルボが負った使命
関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT