水平に近く寝たウインドウスクリーンと、極端に前方へ着座するドライビングポジションを取るうえ上での、合理的なソリューションであったのだ。カウンタックが高い評価を得るのは、一見すると奇抜に見える手法が、実は高い合理性を持っているところにある。
そして、それは結果的にそれまでのランボルギーニの持つブランドイメージを完璧に刷新することになった。
一方、マセラティは1968年にシトロエンをパトロンとして迎え、豊富な開発資金を獲得した。そこでマセラティという老舗ブランドにとって、今までのラインナップにはない特徴をもった、未来のグラントゥーリズモ像をボーラに描いた。
ボーラのチーフエンジニアであるジュリオ・アルフィエーリは、従来のFRレイアウトに慣れ親しんだ顧客が違和感なく楽しめる、ミッドマウントエンジン・スポーツカー作りを開発のテーマとした。つまり、ミッドマウントエンジン・スポーツカーの理想的な運動能力を生かしつつ、その欠点を払拭しようとしたのだ。
低くコンパクトなボディでありながらも、キャビン内の快適性や十分なラゲッジスペースを確保することに努めたし、膨大な時間を費やして限界域でもスムーズに挙動をコントロールすることを可能とするシャーシ開発を行った。
アルフィエーリの悲願
ジュリオ・アルフィエーリは、かつての部下=ジャンパオロ・ダラーラが手がけたミウラに強いライバル意識を抱いていたこともあり、「マセラティならば、ミッドマウントエンジン・スポーツカーをこのように作る」という機会を虎視眈々と狙っていた。ボーラの開発は、彼にとってまさに格好の機会であったのだ。
いずれにしても、この2人の名エンジニアがいかにミウラを超越するスーパーカーを作ることができるか、お互い火花を散らして戦っていたことは興味深い。
このような両車の成り立ちを考察してみるなら、カウンタックに比べてボーラが地味な存在と感じられる理由もわかる。さらに、もう1点の事情も付け加えておかねばならない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら