日米同盟が試された3.11直後の知られざる実際 細野豪志氏×磯部晃一氏対談(後編)
磯部:その前に、細野補佐官が、リーダーシップを発揮されて日本側でまず集まろうと。日本側だけのチームで集まってその時にアメリカ側との調整事項はなにか、あるいは日本側が詰めなければならないことは何かということをまとめ始められたんです。
それで、日米調整に入る前にそれを日本側でやったので、日本側の各省庁、あるいは東電含め、局長クラスの幹部がその場で意思決定や判断ができるような状況になって、それがいちばんよかったと私は思います。
日本側の事態把握
細野:日本側も関係省庁が多かったですからね。そこで関係者の顔も見えたし役割分担も見えた。1つになったような感じはありましたよね。
磯部:毎日ほとんど同じメンバーでやりましたね。
細野:メンバーを固定したのは信頼関係をつくるうえでもよかったと思います。アメリカ側もそうだった。ただここでの対応もかなり大変でした。すごく印象に残っているのが、4号機のプールに水があるのかないのかという論争です。
アメリカ側はないと見ていたわけですよ。1号機から4号機までの燃料プールの中でいちばん新しい燃料が大量に入っていたのが4号機だったので、仮に水が入っていないとすると避難範囲が広くなるので、例の50マイルという話も出てきたわけです。
そこに日米の違いがあった。最初にコンクリートポンプ車でプールの水を取って調べた。日本側が「きれいな水が入っているのでプールは大丈夫だ」と言ったら、アメリカ側から「はじめから入っていた水ではないか」とか「雨が降って水が入ったんじゃないか」と言われて。一言で言うと、理不尽な反応をしたんです。
これには日本側が怒りまして。相当努力して水を取ったのに、信用しないのかと。でも、アメリカが日本を信用することが、世界に伝わることが重要だし、ここは我慢してもう1回やろうとなった。厳密にもう1回取ってみたところきれいな水だったので、4号機のプールには水があるということになった。
アメリカ側が日本側の技術力や、日本側が事態を把握しているということを、本当の意味で理解したのはその時でした。日本とアメリカというのは対等な同盟関係ということになっていますが、どこかでアメリカのほうが技術的にも力の面でも上なのではないか、本当に対等なのかということがある。それが問われた場面でもあったと思うんです。そういうせめぎ合いみたいなものは、ミリタリー・ミリタリー(ミリミリ)でもありましたか。
磯部:発災直後は、在日アメリカ軍、横田の司令官が陸海空海兵隊のアメリカ軍すべてをまとめて対応されていて、それがだんだん回り始めていました。けれども、太平洋艦隊司令官、ハワイにいる司令官で海軍の大将ですが、この四つ星の大将が日本に来てアメリカ軍の指揮を執るということが18日にわかりました。われわれは、海軍大将が日本に来るとはどういうことなのかと、当時やや戸惑いを感じました。
細野:自衛隊のカウンターパートは在日アメリカ軍司令官ですよね。太平洋艦隊司令官はその上の人ですね。見方によっては、在日アメリカ軍があり自衛隊があり、その上が来るわけだから、自衛隊がその下に入るということになると大変なことですよね。