日米同盟が試された3.11直後の知られざる実際 細野豪志氏×磯部晃一氏対談(後編)

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磯部:日本側の出席者は防衛省・自衛隊、経済産業省、外務省、原子力安全・保安院、東京電力の関係者。アメリカ側はアメリカ軍とエネルギー省、それから大使館です。そこでは原発、とくに原子炉の中の状況を知りたいということがアメリカ側の一番のポイントでした。アメリカ側がさまざまなところにコンタクトしていた中、この会合がいちばん全体像がわかるということで、非常に感謝されたんです。

情報共有をスムーズにしたホソノ・プロセス

細野:それを実質的に発展させ、日米合同調整会議になった。これは国務省が作っていた文章ですが、日本側は官邸、METI(経済産業省)、東電、自衛隊、外務省ですね。アメリカ側は国防総省、国務省、NRC、DOE(エネルギー省)もいる。

会議ができる前は両国の間が混線していて本当に大変だった。私もこの渦中にいたのでいろんなところから問い合わせが来て、対応にかなりエネルギーを費やしていて、すごく時間のロスがあった。それをなんとかしようと、21日から日米合同調整会議を始めた。国務省は「ホソノ・プロセス」ができて情報の共有がスムーズになったと。

ホソノ・プロセス(アメリカ国務省作成の資料を元に細野豪志事務所で作成)

磯部:画期的でした。アメリカ側の関係者もその役割を称賛していました。

細野:これの予備的な会議を防衛省でやっていただいたわけですね。

磯部:そうですね、16日から3回会議をやっています。それが菅総理の耳に入って、「防衛省で勝手にやるのはダメだ」っていう話になった。

細野:けしからんって話になったんですかね。

磯部:というふうに私は聞いたんですけれども。

細野:18日、19日あたりに総理に「ちゃんとしたものを作ったほうがいいですよ、その場合は官邸直属のほうがいいから、やるなら福山副長官ではないですか」ということを言って、じゃあということで準備に入ったんです。結局、現場を把握している私が日本側を代表する形になった。21日から正式に立ち上げて、当初は日に2回やってましたよね。しばらくしてから日に1回になりましたかね。

磯部:たしか夜20時でした。

細野:平時ならありえないですが、当時は1日仕事をやって、次の日に向かって各組織が準備を始めるのが20時頃でしたよね。

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