3.11原発事故で現場対応した人の薄氷踏む判断 細野豪志氏×磯部晃一氏対談(前編)

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細野:次に、この危機において自衛隊が果たした役割について聞いていきたいと思います。

原発事故直後から、自衛隊には大きな期待があったのですが、ひとつの大きなピークが3月16日から17日のヘリの空中からの散水です。

実はあの前に、当時危機管理監をやっていた伊藤哲朗さん、防衛省の背広組から官房副長官補になっていた西川徹矢さんと議論したことがあった。3月11日から12日にかけて東電の社員がベント作業(原子炉格納容器爆発を避けるためのベント、つまり格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出する緊急措置)をやったときのことです。命がどうなるかわからないという状況の中で、民間の方にあれをやってもらってよいのかという迷いが私の中にあったんです。

もちろん東電の責任はあります。しかし、「民間人だから無理です」と仮に東電が言ってきたときにどうしようかというのがあって、伊藤さんと西川さんに「仮に自衛隊にやってくれと言ったらできるか」と聞いたのです。

その場で即答でした。「いや無理です。なぜならまったく現場がわかりません」と。確かにそこに自衛官が行っても、右も左もわからないわけです。訓練もしていないし、そのとおりだと。ここはいかなることがあっても東電にやってもらうしかない。その後3月14日から15日にかけては撤退騒動もありましたが、撤退してもらうわけにはいかんということで頑張ってもらったんです。

16日の深夜、統幕長室に陸海空の幕僚長が集まった

細野:しかし、15日、16日と現場のオペレーションがうまくいかなくて水が入らないという中で、いよいよ最後の砦たる自衛隊に頼まなければならなくなったんです。磯部さんはあのとき統幕におられましたよね。16日のヘリの放水回避、そして17日には放水するということで、相当夜中に議論があったと聞いています。

磯部:16日は上空の放射線量が高いということで一旦断念をして引き返したんです。その夜に横田の在日米軍司令官からアメリカの切迫感も伝わってきました。速やかに放水すべしという覚悟は固まっていたので、17日は必ず放水しようと、固く決意をしたのが16日の深夜です。

統幕長室に陸海空の幕僚長や主要な部長が集まって、そこで、明日はどうなってもヘリから水をまくぞという決心をした。ちょうどそのとき、(放水を統括する)宮島俊信中央即応集団司令官からも「明日は必ずやります」という電話が入ったんです。それで17日の放水になりました。

細野:陸海空の三軍集まった?

磯部:集まりました。統幕長室に陸海空の幕僚長みんな集まりました。

細野:それで実際に入れたのは。

磯部:陸上自衛隊の第1ヘリコプター団です。私はもともとヘリコプターのパイロットだったので、自分が行きたい気持ちが強かったです。放射線の量を考えると、若いパイロットに行かせるのは忍びないですから。そういう気持ちはみなさん居合わせた人は持っていたと思います。

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