3.11原発事故で現場対応した人の薄氷踏む判断 細野豪志氏×磯部晃一氏対談(前編)
戦後以降、3.11は最大の国家的な危機だった
細野豪志(以下、細野):磯部さんは、3.11のときに防衛計画部長をされていて、自衛隊の統合幕僚監部という国家権力の中枢で原発事故を経験されています。3月21日から始まった日米合同調整会議では、自衛隊の制服組の責任者として出席されていました。私にとってはまさに戦友のような方です。2019年に、原発事故に関わる日米同盟の連携の全体像を書かれた『トモダチ作戦の最前線:福島原発事故に見る日米同盟連携の教訓』を出版されましたね。
磯部晃一(以下、磯部):戦後を振り返ってみると、3.11は最大の国家的な危機だったと思うんです。そのときに日米がどう対応したのか、そして自衛隊はどう動いたのか、政治と自衛隊の関係、自衛隊と米軍の関係、こういったところをまとめる必要があると。この記録を残すことは、ある意味歴史からの使命ではないかと思い、退職後に自衛隊と米軍、そして日米の政府関係者にインタビューをしてまとめました。
細野:日本側の安全保障関係のキーパーソンが入っているのと、アメリカ側の証言を取っておられるというのは本当に貴重ですよね。当時の駐日アメリカ大使館のルース大使、ズムワルト首席公使、そして在日米軍司令官、太平洋軍司令官など、よくこれだけのものをおまとめになったと思います。有事においてこそ同盟の本質は現れると思うんです。日米同盟が現実の危機に直面したときに機能するのか。端的に表現すると日米同盟というのはどういうものなんでしょう。
磯部:日本にとってやはり、同盟軍でありうるのは米軍しかいないということだと思うんです。かつてフランスのシャルル・ド・ゴール氏が「同盟軍というのは行動を共にしてくれるが、運命は共にしてくれない」と言っています。そこの、運命を共にしてくれるかどうかの瀬戸際まで、実はトモダチ作戦は行きかけていたということを国民の皆さんに知ってほしかった。同盟というのはきれい事だけじゃないということを知ってほしかった。同盟のリアルな姿を国民も知るべき段階に来ているのではないかと思います。
細野:具体的にはそれはどういうところで現れますか。例えばわれわれがしびれたのは、震災直後の3月17日にアメリカが50マイル、すなわち80キロをアメリカ関係者の避難区域に設定したときです。ぎりぎり東京は入らないけれども、日本が設定していた20キロや30キロよりもはるかに広い範囲を指定しましたよね。ああいう場面ですか。