3.11原発事故で現場対応した人の薄氷踏む判断 細野豪志氏×磯部晃一氏対談(前編)
磯部:アメリカ側にインタビューしてみると、アメリカの政権の中でも、あるいは米軍内でもさまざまな意見があって、東京まで含めて避難するという意見もあったようです。そうなったときには横田基地も横須賀の基地も、あるいは大使館も東京から離れなければいけない。仮にそうなったときには、日米同盟が持つのかなというところまでいったんじゃないかと。結果的にそうならなかったからよかったんですけれども。
細野:当時、アメリカ海軍は200マイルの避難を主張しました。200マイルというと東京どころか東日本全体が入ってくるくらいの広さです。それをルース大使が在京大使館で「いや大丈夫だ」と頑張った。磯部さんは著書でホルドレン大統領科学技術担当補佐官も非常に大きな役割を果たしたと書いておられます。
磯部:ホルドレン氏の下にもう1人、原子力の分析の専門家がいまして、そこで昼夜を分かたずシミュレーションをして、結果的に、いわゆる放射性物質を伴ったプルームが東京までくることはほぼないだろうと。避難をしなければならない状況にはないだろうという結論に持っていったのが救いだったと思います。もし仮にそうでなければ、大使館が移動していたかもしれないくらいです。
細野:当時私も記憶しているのは、例えばドイツはいち早く大阪、神戸に大使館を移し、ほかにもスイスですとか。
磯部:そうですね、フィンランドも広島に移転しました。
細野:ヨーロッパの国々は移しましたよね。その中でアメリカ大使館が東京に踏みとどまったというのは非常に大きかったですよね。仮に大使館が移動していたら、そもそもトモダチ作戦はなかったかもしれません。
磯部:これはやはりルース大使をはじめ、大使館の方々が日米同盟の真髄はどこかということをよく理解されていたからだと思います。
アメリカのトモダチ作戦には3つの側面があった
細野:そういう日米同盟関係が非常に貴重な役割を最後まで全うしたという面がある一方で、先ほど磯部さんがおっしゃったとおり、運命を共にすることはなかった。避難の距離も違った。NRC(アメリカ原子力規制委員会)の代表としてやってきたチャールズ・カストー氏は日米同盟調整会議で私のカウンターパートを務めましたが、主要な役割はアメリカ国民の保護だったわけですよね。
磯部:おっしゃるとおりで、アメリカのトモダチ作戦というのは3つの側面がありまして。ひとつは日本の国民を助けたいという思い。純粋な人道愛、人間愛と言うんでしょうか。2つ目は福島原発という原子炉の状況が非常に不安定だったので、それをなんとかコントロールするのを助けたいという意識。3つ目は、日本にいるアメリカ市民の保護。状況によっては退避ということまで考えていましたので。この3つ、大使はすべての任務を務めなければいけないという厳しい状況に置かれたわけです。
細野:3点の中で、あえてアメリカ側から見ていちばん重要なのはどれだったんでしょう。
磯部:アメリカからすると、やはり3番目のアメリカ国民の保護だと思いますね。自国民を守るというのは国家の究極の使命ですから、根本的な話だと思います。
細野:政府の役割とは何か、さらには政治の役割とは何かというのを突き詰めていけば、やはり国民の命ですからね。アメリカも当然そうであって、同盟国の支援というのは、その次にくるものなんです。これもある意味、同盟の本質だと思います。