気仙沼で復活を遂げたカフェ「復興10年」の奮闘 サンドウィッチマンがロケ後に被災した店は今

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気仙沼市内の店は、船が錨(いかり)をおろす意味で「アンカーコーヒー」、それ以外の宮城県内と岩手県にある各店を、「フルセイルコーヒー」(満帆の船の意味)、「マザーポートコーヒー」(母港を意味する造語)の店名で運営する。店舗を1つの船にたとえ、店長をキャプテン、スタッフをクルーと呼ぶ。

スターバックスやタリーズコーヒーが進出していない当地で、2005年からシアトル系を打ち出す。気仙沼高校からアメリカのミネソタ大学に進んだ小野寺氏が、海外で過ごしたコーヒーの味を忘れられず「ないものはつくればいい」と考え、シアトル系カフェを開発した。

震災前は5店だった店舗数は、現在8店に増えた。田中将大投手の復帰で話題の東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地「楽天生命パーク宮城」のスタジアム内にも店舗がある。

高台に開業した「アンカーコーヒー マザーポート店」(写真:オノデラコーポレーション)

ロケを行った店舗は津波で全壊

2011年3月11日、東日本大震災の当日。サンドウィッチマンがロケを行った店は「アンカーコーヒー プレミアム店」(当時)だった。気仙沼魚市場に近い場所で、赤い外観が目立つ存在。コーヒー焙煎工房も隣接していた。

震災当日の14時から、サンドウィッチマンは同店で地元テレビ番組の収録を行う。終了後に駐車場に移動した直後の14時46分に激しい揺れが襲った。

2人は番組スタッフと一緒に、すぐに近くの安波山(あんばさん)に避難。番組のオープニングを安波山で撮り、スタッフが避難場所にひらめいたそうだが、そこで津波を目撃する。先ほどまでロケをした店も襲われた。この光景が、2人を復興支援に駆り立てた。

2011年3月11日の津波で被災した「アンカーコーヒー プレミアム店」(写真:オノデラコーポレーション)
震災翌月の2011年4月22日、被災したアンカーコーヒープレミアム店を訪れたサンドウィッチマン(前列・黒い服装の2人)とともに。中央後方が小野寺氏(写真:オノデラコーポレーション)

筆者が被災した同店を訪れたのは2012年2月。津波の痕跡も生々しい店内には「本日14時頃~ 当店で撮影が行われます(中略)2011.3.11」と記された手書きの紙が残っていた。

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