この結果、必要であればリソースの融通も可能になる。山森氏もClalitのシステムで、ある病院の2月中旬の予約をし、その後別の病院での1月1日への予約変更を行った。日本であれば各病院やクリニックは独立した経営組織であるため、例えば慶応義塾大学病院に登録した予約を、別の日の聖路加国際病院の予約に変更することが1つのシステム上でできる、ということはなかなか想像しにくい。HMO傘下にほとんどの医療機関が組織化されているがゆえに、オンライン予約、その変更、がスムースに実現されるのだ。
ワクチン接種に関わるロジスティクスを日本の政府・自治体がシミュレーションを始めたようだが、平時であれば、分散される医療機関へのアクセスが、今回のワクチン接種のようなある種の非常時には集中することは不可避だ。医療機関を統合したシステムが運営されていることのメリットは大きいだろう。
ゼロリスク志向見直しの必要性
このように、「世界最速でワクチン接種が進む」イスラエルを支えているのは、そのデジタルインフラなのである。平時ならともかく、一刻を争う有事に際しては、デジタルインフラの有効性は大きいことを目の当たりにした、と言ってもよいのではないだろうか。
この1年、報道やSNSで、地域の保健所が陽性者へのヒアリングを電話で行ったり、FAXでPCR検査結果情報をやり取りしていることを揶揄し、日本の遅れを嘆く意見が多く見られた。
しかし、この状況を作ったのは、技術でも政府でもなく、「個人情報保護」という錦の御旗の元に、国民IDの導入、システムの共通化、にことごとく反対してきたわれわれ国民自身、であることを再認識する必要があるのではないだろうか。
無論、デジタル化を単純に賛美はしない。隣国のような過度の監視社会も、デジタルインフラ構築の1つの結果であるからだ。
しかし、「可能性があるかもしれない」情報漏洩リスクや過度の監視社会リスクを恐れて、デジタル化、ネットワーク化を躊躇してきた結果、「具体的に直面している」新型コロナウイルスの感染拡大リスクへの対処がアナログなマンパワー頼りにならざるをえない現実となっているのは、まさにわれわれ自身のゼロリスク志向の問題であると認識すべきだ。
誰にとっても100点満点の解、というものは存在しない以上、さまざまな課題について、どこに妥協点を見いだすか、という議論ができることこそが成熟した民主主義社会の力だろう。今回のコロナ禍を奇貨として、成熟した議論のもとに、望ましいデジタル化社会が進むことを願う。
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