織田信長を生んだ父・信秀の独創的な教育方針 歴史に学ぶ乱世を生き抜く発想力の身に付け方

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時代は、室町時代から戦国時代に移り変わり、いよいよ激しさを増しています。これまでのように、隣り合う敵同士が、小競り合いをくり返す程度の戦いでは済まなくなる、と信秀は感じていました。時代が大きく変わる中で、これまでの知識、教養をただ身につけるだけでは、せいぜい自分がやってきた程度で終わる。

新しい時代を切り開き、生き抜くためには、常識を超える発想が必要であり、積極的にどしどし挑戦していく気持ちが、何よりも大事であると考えたのでした。

信秀は、信長には彼がやりたいこと、求めるもの、得意なことだけをやらせるようにしました。けっして上から押し付けたりせず、彼が自ら求めたものだけを与える教育を施したのです。信秀は京とのパイプを持っており、いずれの分野でも天下の名人を呼ぶことができたのも、大きかったと思います。

信長が馬に乗りたいといえば、馬術の達人を連れてきて、教えてもらう。信長がのちに、合戦の前後で一騎駆けをするのは、馬術に自信があってこそ可能なことでした。

大切なのは「コンプレックスを抱かせない」こと

また、最新鋭の鉄砲の練習にも、好きなだけ打ち込ませました。橋本一巴という達人を尾張に呼び寄せ、指導させています。自分で鉄砲を撃った戦国武将は多いでしょうが、せいぜい試し撃ち程度で終わっています。しかし信長の射撃は、相当な腕前まで鍛えあげられていました。

言ってみれば信秀は、長所を徹底的に伸ばす教育を、信長に施したのでした。裏を返せば、コンプレックスを抱かせない教育をしたのです。

人はうまくできなかった経験を、引きずって生きてしまいます。それは劣等感となり、そのジャンルが得意な他人に対して引け目さえ感じます。でも、信長は子ども時代から、何をやっても上手くなったという成功体験しかないため、何に対しても、誰に対しても、コンプレックスを抱くことがありませんでした。

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学問は得意な家臣に任せておけばよい、自分よりも学問に詳しい人間がいても、信長は劣等感を持ちませんでした。なぜなら、自分は取り組んだことはすべからく上達したわけですから、学問だって真剣にやればいちばんになれる、と本人は確信していたからです。

そんな教育を受けた信長ですから、いい意味で自分が信じる道を、揺るぎない気持ちで進みつづけることができました。その結果、既存の体制を打ちこわし、新たな国作りに邁進したのです。

信長の例は、いかに親の教育が大切かがよくわかるものです。父・信秀は、〝天下布武〟を実行する教育を、息子信長に施したのですから。

加来 耕三 歴史家、作家

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かく こうぞう / Kozo Kaku

歴史家・作家。1958年大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業後、同大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師をつとめながら、独自の史観にもとづく著作活動を行っている。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著書に『日本史に学ぶ一流の気くばり』『心をつかむ文章は日本史に学べ』(以上、クロスメディア・パブリッシング)、『「気」の使い方』(さくら舎)、『歴史の失敗学』(日経BP)、『紙幣の日本史』(KADOKAWA)、『刀の日本史』(講談社現代新書)などのほか、テレビ・ラジオの番組の監修・出演も多数。

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