コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論

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筆者には、市場経済を中心とした社会制度を選ぶか、効率性では劣るが社会的共通資本を含む経済制度を選ぶかに際しては、その社会における必需財の選定だけでなく、その社会がどのくらいの時間的射程をもって安定性を望んでいるかにも依存しているように思う。

この点は今回の新型コロナウイルスの感染拡大で、世界中の国が試されているのではないか。アメリカは市場経済中心の経済体制を貫いて多くの犠牲者を出す一方で、独自にワクチンを開発し、おそらくは日本より早く経済的な回復を遂げるだろう。

日本は医療部門が公的医療保険制度で支えられているにもかかわらず、医薬品分野の技術開発では欧米や中国に遠く及ばず、かつ医療供給体制も十分に準備できずにいる。そして他の国以上に経済損失と現場の医療従事者の負担、国民の忍耐によって感染拡大を抑制している。こうした戦略的対応とも呼べない場当たり的な体制が、本当に国民の望んだ制度なのかどうかは、このコロナ禍が一段落した後であらためて検証されるべきだろう。

宇沢は、「ヒポクラテスの誓い」をたびたび引用するほど、医療従事者に対して敬意を払っていた。しかしながら宇沢が理想とする医療制度と現実の医療制度の間にはなお乖離があるように思う。

日本の「開業医」中心の医療制度の改革を提起

社会的共通資本をわかりやすく解説した『経済解析(展開篇)』第21章「20世紀の経済学を振り返って」では、日本の医療機関が規模の小さい開業医で占められ、医師の技術的要素が医療報酬に十分反映されていない状況を憂えたうえで、「現行の開業医制度のもとでなされてきたさまざまな固定生産要素の蓄積、人的資源の配分、さらには医療従事者の要請などについて、総合的な、しかも長期的な視点に立った改革案がつくられなければならないであろう」と述べている。

いまわれわれがコロナ禍の中で実感している医療への期待ともどかしさを、宇沢は20年前、いや初出から考えると約半世紀前に持っていた。医療だけでなく分配政策も含めて、その先見性と洞察力にあらためて敬意を抱くとともに、宇沢から直接教えを受けた時期もありながら、今回のコロナ危機であらためて勉強をし直す自分自身を恥じるばかりである。 

宮川 努 学習院大学経済学部教授

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みやがわ つとむ / Tsutomu Miyagawa

1978年、東京大学経済学部卒業、1978年~1999年日本開発銀行(現日本政策投資銀行)勤務、1999年から現職。2006年経済学博士号修得。最近は生産性に関する実証研究に取り組む。著書に『生産性とは何か』(ちくま新書)、『インタンジブルズ・エコノミー』(淺羽茂氏、細野薫氏と共編、東京大学出版会、2016年)、『Intangibles, Market Failure and Innovation Performance』(Bounfour氏と共編、Springer、2015年)。

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