コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論
もう1つは「クズネッツ仮説」に対する1つの反証を示していることである。1971年にノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツは、資本主義経済では発展の初期段階でこそ所得格差は拡大するが、その後、格差は縮小するとした。これがクズネッツ仮説である。このクズネッツ仮説への反論としては、トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』での反証が有名だが、宇沢の場合はベーシックインカムのような所得再分配政策をとったとしても、経済成長に伴って格差が縮小するということはないという意味で、ピケティ教授よりも厳しい条件を提示したといえる。
もっともここまでの宇沢の議論にも限界がないわけではない。自身が第17章の最終部分で明らかにしているようにここまでの議論は資本量を固定して、必需品の供給弾力性が低いという前提からこれまでの結論を導出している。しかし、昨年中国が新型コロナウイルスの感染拡大で封鎖された武漢でコロナ専門の病院を短期間で建設したように、資本の供給が柔軟に行われるのなら、必ずしも必需品の価格上昇率が選択品の価格上昇率を上回ることはなく、ベーシックインカムに関する議論も修正を余儀なくされる。
ベーシックインカム論の前提は「必需品も市場供給」
とはいえ、現在の日本では物的資本が賄えたとしても、治療のための技能を備えた医療従事者を早急に準備することが難しい。その点は、新型コロナウイルスの感染第3波で明らかとなっている。おそらくこうした固定性は医療にかかわらず、日本の産業のいたるところに存在するのではないか。その意味で宇沢の所得分配に関する分析は、現在の日本経済については妥当すると考えられる。
そして社会的共通資本は、この社会的不安定性を防ぐ装置として位置づけられる。ベーシックインカムというのは、必需品も選択品と同じく市場経済の中で供給されることを前提としている。これに対し、むしろ必需品の供給は営利企業に任せるのではなく、社会的管理のもとにおき、その消費について格差が生じないようにすれば、選択品について効率的に資源を配分することも可能になるのではないか、というのが「社会的共通資本」の考え方である。
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