そもそも、「女性はリーダーシップがない」わけではなく、その資質はむしろ「男性と同等、むしろ男性よりもある」という学説もあるほどです。
このコロナ禍で、世界で株を上げたのは、ドイツのメルケル首相やニュージーランドのアーダーン首相など女性リーダーたちでした。しかし、なかなか女性活躍推進が進まない理由として挙げられるのが、「コンピテンス(能力)」はあるのに、「コンフィデンス」がないという「コンフィデンスギャップ」といわれる要因です。
とくに女性は思春期にかけて、「声を失う」(loss of voice)という現象が指摘されています。小さいころは、男の子と同様に無邪気に発言できていたのに、自我の目覚めとともに「女性らしくあれ」という呪縛を受けて、声を上げにくくなっていくというわけです。
実際は「力を誇示したい男性ほど滔々と話す」
例えば、何かを要求するときに、男性が自信を持って発言すれば「強い」「リーダーシップがある」と評価されますが、女性が同じことを言えば「図々しい」「厚かましい」とみられがちです。
逆に、そういったことを恐れ、発言をしないなど「弱々しげ」であれば、「リーダーシップがない」と烙印を押されてしまいます。このように女性は強すぎても弱すぎてもダメという「ダブルバインド」(二重拘束)の制約を受けがちなのです。
こうして、「声を奪われてきた」女性たちの現状を変えていこうと、世界が動いているさなかでの、「女は声を出すな」と言わんばかりの無神経な言動。
しかも、その人が「多様性推進」を掲げる祭典の重職にあり、日本の顔ともいえる立場の人だったことが、「女性活躍の流れ」を100年押し戻すような衝撃を与えたというわけです。
私はこれまで、1000人を超えるエグゼクティブの家庭教師としてそのコミュニケーションを指導するなかで、多くの企業リーダー・幹部たちの話を聞いてきました。そもそも女性リーダーが少ないこともありますが、予定の時間を超えて、滔々(とうとう)と自分の話を披露する人のほとんどが男性でした。
森氏自身、「話が長いと言われる」とおっしゃっていましたが、12日の組織委員会会合冒頭での森氏の退任表明がまさにその典型でした。謝罪よりも長々と、自身の功績を時系列で並べ立てながら、「(蔑視発言は)解釈の問題」などと恨み節も吐露してしまう。「女性が入ると会議が長い」と言っておきながら、本人の長話の「つい一言」が命取りになったのは実に皮肉なことです。
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