あのドラッカー絶賛「渋沢栄一」が凄い真の理由 ロスチャイルドやロックフェラーを凌ぐと評価

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渋沢栄一は西洋のカンパニーという仕組みを使って、当時の日本にはなかった新しい事業を次々に生み出し社会的イノベーションを起こした。一方ドラッカーは、「マネジメント」という言葉さえあまり使われていなかった時代に、人類史上初めてマネジメントという分野を体系化した。2人はなぜ新しい未来を創造できたのだろうか。

実は、渋沢栄一とドラッカーはよく似ている。考え方がよく似ているだけでなく、生き方までよく似ている。

まず浮かびあがってくるのは「高く広い視点で時代が要請するものを見極めていた」ということである。

渋沢にはつねに天下国家という意識があった。また、運よく西洋の地を訪れ、当時の西洋の様子を自分の目で見ていた。そして日本は西洋による植民地化を避けるために富国強兵を旗印とし、産業の育成が急務だった。渋沢は、明治という時代が求める、ありとあらゆる事業を設立していった。

渋沢の事業の設立の順番も理にかなっている。まず、経済の血流と言われる銀行を設立した。それは、事業に融資するという日本で初めての銀行だった。ちなみに「銀行」という言葉を作ったのも渋沢である。次に製紙会社を設立している。明治になって税は紙幣で納めることになった。また、全国に義務教育の学校が設立され教科書が必要になった。明治初期という時代は大量の紙が必要になった時代だったのだ。

ドラッカーの心の根底にある「人間の幸せ」

ドラッカーも同じである。ドラッカーはつねに社会全体という視点でものを考えていた。ドラッカーがなぜマネジメントの研究を始めたのか。そこには、社会の大きな変化が影響していた。

19世紀まで人類の大半は、靴職人とか農民とかといったように個人で働いていた。それが20世紀には、人類の大半が組織で働くようになった。そういう社会である以上、組織のマネジメントがうまく機能しなければ人類は幸せになれない。そういう時代の要請が、彼をマネジメントの研究に向かわせたのだ。

ドラッカーの心の根底にあるのは「人間の幸せ」である。ドラッカーは「人間はどうすれば幸せになるか」、とくに「仕事を通して人間はどうすれば幸せになるか」を考え続けた人だった。

渋沢栄一とドラッカーが変化の時代に大きな成果をあげえたのは、高く広い視点で時代が求めているものを見極め、時代が求めているものに彼らの時間を使ったからなのだ。

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