伝説の銀行マンが使った「人の心を掴む」必殺技 イトマン事件告発者・國重惇史の「人心掌握術」

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イトマン事件告発者と知られる國重惇史氏。「将来の頭取候補」とまで目された彼が実践する「人心掌握術」とは?(写真:kotoru/PIXTA)
「戦後最大の経済事件」と言われるイトマン事件の告発者として知られる元住友銀行取締役・國重惇史。ベストセラー『住友銀行秘史』を著して以来消息の途絶えていた彼の証言、メモ、資料をもとに「バブルと銀行」の時代を描いたのが、児玉博著『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』である。
本書では、國重が住友の若手行員時代、「伝説のMOF担(大蔵省担当)」として名を馳せるようになった経緯が語られる。
昭和50年(1975年)、入行して7年目で企画部に異動した國重は、企画部に異動し、MOF担としてのし上がる足がかりをどのように掴んだか。まさに「リアル半沢直樹の世界」である。

一般には、MOF担は東大卒業者が多いとされた。大蔵省の官僚の大半が東大の卒業生であることを考えればそれも当然なのだが。國重も東大卒だった。

しかし、國重によれば、「東大の同期だとか、高校の先輩後輩とか、そんなもんが役に立つのは親しくなってから。最初からそれを当てにしてやろうとしてもまったく役に立たない」ということらしい。

ただ「通うだけじゃ」振り向いてもらえない

途方に暮れた國重は、まず担当部署である大蔵省銀行局銀行課に電話を入れる。しかし、先方は忙しいの一点張りで会うことさえも叶わない。

「そんなこと言わないで会ってくださいよ」

やっと会うことができても、名刺交換を済ますと、さっさと席を立ってしまい、まともな会話さえできない。

國重:名刺交換をしてしまえば、堂々とその部署に行けるから、通ったよ、それからは。

この言葉通り、國重は毎日、朝と言わず昼と言わず、夕方と言わず、時間さえあればご用聞きのように銀行課に顔を出した。その甲斐もあって、少しずつ会話をしてくれるようになっていった。

筆者:やっぱ通わないとダメなんですね。

國重:それが、ダメなんだよ、通うだけじゃ。

ただ通うだけではダメと言った國重が、肝心なのは、と続けた言葉が、「赤心(せきしん)あるのみ」というものだった。

余りに意外な言葉で、思わず、「赤心って、“赤い心”って書く、あの赤心ですか?」と聞き返したほどだった。そして、國重は、「そう、そう、その赤心あるのみなんだよ、MOF担だって」。

しかし、國重のキャラクター、どんなことにも意図的にゲームを仕掛けるような、確信犯的なそれと“赤心”、つまり嘘偽りのない誠、というのがどうにもしっくりとこなかった。

筆者:悪いけど、國重さんと赤心って、どうもしっくりこないんだけども。

こう言うと國重は、「そう?」と言っては、こんな説明をするのだった。

國重:要はね、大蔵省の人間から見ると、目の前の男、それは國重なんだけども、自分が協力しないとその男は上司からこてんぱんに叱責されるんだろうな、という風情を醸し出すんだよ。

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