チェルノブイリ被災者との会話で得たある視点 本を読んで予想した事はだいたい裏切られる

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でも、だれでも経験すると思いますが、ガイドブックを読んで予想したものって、現地に行くとたいてい裏切られるんですよね。「え、これがあれ?」と。

でもそれはべつにガイドブックが嘘を書いていたというわけではなくて、現地を訪問したあとで読み返すと、たしかにそこにちゃんと書いてあったりする。でも現地を知らないで読んだときには、べつのことを想像しているわけです。

たとえば「そこを曲がると小さな道があります」と書いてあるとします。日本人だったら日本の「道」を想像する。観光地に向かうきれいに舗装された道があると。ところが現地に行くとまったくちがい、「これが道?」と思うような経験がままある。「道がある」という単純な事実すら、言葉だけでは現実にたどり着かない。

アイロニーも込めている

だから、『チェルノブイリ』をガイドブックとしてつくったことには、ある種のアイロニー(皮肉)が込められています。この本を読めばチェルノブイリについてあるていどわかる、でもほんとうはわかってないはずだからそのことも自覚しておいてね、ということですね。

そういう考えで書籍を出版したので、ツアーも企画するべきだと思ったんです。「本を読んで知識を仕入れたつもりだったけれど、現地には自分が想像したものとまったくちがったものがあった。

けれども、それはたしかに書かれていたとおりのものでもあった」という、あの奇妙なムズムズする感覚を、読者にも経験してほしい。そのためにはじっさいにひとを連れていくしかない。『チェルノブイリ』という書籍を、「オフラインへの入り口」として使おうとしたわけです。

もう少し付け加えます。ぼくたちの社会では、SNSが普及したこともあり、「言葉だけで決着をつけることができる」と思い込んでいるひとがじつに多くなっています。でもほんとうはそうじゃない。言葉と現実はつねにズレている。

報道で想像して悲惨なイメージをもって被災地に行ったり被害者に会ったりしたら、全然ちがう印象を受けた。あるいはその逆だったということはよくあるわけです。そういう経験がなく言葉だけで正しさを決めようとしても意味はない。むしろ大事なのは、言葉と現実のズレに敏感であり続けることです。ぼくのいう「観光」は、そのためのトレーニングです。

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