チェルノブイリ被災者との会話で得たある視点 本を読んで予想した事はだいたい裏切られる

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ではそのきっかけはどこから来るのか。いまの話なら、取材の本筋から離れた雑談からですよね。結論をいえば、そういうノイズの部分が大事なんだと思います。

シロタさんを「原発事故で9歳で故郷を失い、いまも後遺症に苦しみながらチェルノブイリのゾーンで働いているひと」と紹介したとして、ほんとうはなにも伝わらない。ファクトは正しい。

でもそれは読者がイメージする「チェルノブイリの悲惨な被災者」のイメージを強化するだけです。じっさいに会ってみると、シロタさんは生活を楽しんでいて、お母さんの話ばかりしている。そういう情報はふつうの取材では不要だけど、そここそが重要なんじゃないかと思いました。

観光で想像が裏切られる

複雑な現実を複雑な現実として受けとめるためには、取材の目的がはっきりしているだけでは不十分で、そのまわりのいっけん不必要な「複合的な第一印象」みたいなものが重要になってくる。

第5回チェルノブイリツアーの模様(2018年6月4日)。写真はプリピャチの朽ちた観覧車を見る参加者(写真:ゲンロン撮影)

「自然がきれいだな」とか「ウクライナ料理はおいしい」とか「日本とちがって放射能もお土産のネタになっているんだな」とか……。そのような「印象」は、ジャーナリストとして現地に行くよりも、ツーリストとして行くほうが記憶に残るのかもしれない。

取材の目的がはっきりしていると、その目的が印象を排除してしまうことがある。経験を積んだジャーナリストであればあるほどそうなるのかもしれません。ぼくたちはその点では素人に近かった。だから、従来の事故関連本とは異なったアプローチで現地の紹介ができた。

さきほども述べたように、『チェルノブイリ』は、わざとガイドブックのような形式で編集しました。ガイドブックは、「あなたが行きたいところはこういうところですよ」と事前にイメージを与えるために存在しているものです。現地に行かなくても、ガイドブックを読めば行ったかのような気持ちになれるし、必要な情報も手に入る。

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