ブラジルで小耳にはさんだ、W杯開催の本音 W杯は、誰のための大会なのか?

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サッカーはグローバル言語としての可能性を持つ

世界中の国と地域から、同じスポーツを1カ月間、行うために集まるスポーツイベントはこのワールドカップ以外ありません。そして、集まる国々の文化や宗教のバッググラウンドはバラバラにもかかわらず、サッカーはスポーツのルールとしてはとてもシンプルなので、文化や宗教を超えて、同じ目線で熱狂し、同じ目線で議論しやすい共通言語です。

私も今回、ブラジルに行ってみて、スタジアムだけではなく、街中のお店やカフェ、スポーツバー、さまざまなところで多くの国々の人々と熱狂を共にし、サッカー談義をしてみて、グローバル言語としてのサッカーの持つ可能性をあらためて感じました。

しかしながら、その可能性はまだ生かされているとは言えません。それは、わかりやすい言葉で言えば、スポーツを通した文化交流や相互理解ということになります。

具体的に言うと、今回、私がブラジルで体験したような、サッカーの話から始まって、日本ってどんな国なのか、ブラジルってどういうところなのか、という議論です。さらに、ブラジル人だけでなく、中国人ともサッカーの話で盛り上がり、最終的には靖国問題まで真剣に議論することになったということも、付け加えたいところです。共通言語から入ることで互いに議論しづらい話題にまで議論が発展しても、結局、握手して離れることができる、これもワールドカップという舞台がなせる技なのです。

しかしこれは、残念ながらスポーツバーなどの「非公式な場」では起こっても、ワールドカップ公式のイベントでは難しいと言わざるをえないでしょう。それは、ワールドカップという舞台が一部スポンサーの使用に限られてしまい、草の根的なイベントや地元色の強いイベントなどで利用することが厳しく制限されているという事情があります。

本来であれば、スタジアムの周りでそれぞれの対戦国同士の食べ物を、在留している人が出し合う催しなどもあっていいはずです。ワールドカップがグローバルビジネスにおけるブランドイメージやマーケット拡大に利用される側面が大きくなりすぎて、最も重要である「サッカーを通して文化や宗教が異なる人たちが交流すること」が排除されていると感じます。

もちろん、私たち日本人一人ひとりもワールドカップという舞台を考えるべきではないかと思います。日本代表はこのブラジルで5大会連続のワールドカップ出場となりました。日本代表の応援の仕方は慣れてきたかもしれませんが、私たちは開催国や対戦相手国に対する興味関心を広げて、その国の文化や経済事情まで考えることができているでしょうか?

5大会連続でワールドカップに出場している国はとても限られています。ただ戦うためのワールドカップではなく、ワールドカップがどういう舞台であるべきか、考える責任も大きくなっているのではないか、そう思いながら日本に帰ってきました。

山崎 大祐 マザーハウス 副社長

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やまざき だいすけ / Daisuke Yamazaki

1980年東京生まれ。高校時代は物理学者を目指していたが、幼少期の記者への夢を捨てられず、1999年、慶応義塾大学総合政策学部に進学。大学在学中にベトナムでストリートチルドレンのドキュメンタリーを撮影したことをきっかけに、途上国の貧困・開発問題に興味を持ち始める。2003年、大学卒業後、 ゴールドマン・サックス証券に入社。エコノミストとして、日本及びアジア経済の分析・調査・研究や各投資家への金融商品の提案を行う。2007年3月、同社を退社。株式会社マザーハウスの経営への参画を決意し、同年7月に副社長に就任。副社長として、マーケティング・生産の両サイドを管理。1年の半分は途上国を中心に海外を飛び回っている。

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