しかし幸い、両親とも直美さんに寄り添い続けてくれました。まずは相手の両親と話し合いをしましたが、先方は「うちの息子ではないと思う」と主張したため父親が「ブチ切れ」、すぐに「うちで育てよう、心配しなくていいよ」と彼女に伝えてくれたそう。
ところが残念ながら、周囲がそれを許してくれませんでした。父親の仕事の関係者や、親せきらが口を挟む事態となり、大人たちの間で話し合いが行われた結果、生まれた子どもはやむなく手離すことに。知人に紹介してもらった特別養子縁組のあっせん団体を通して、見知らぬ夫婦のもとへ託されることになったのでした。
出産した年、直美さんは高校を休学。翌年度に復学し、その翌年には父親の仕事の関係で引っ越して転校もしています。そうして生活が変わっていっても、子どものことを忘れた日はなかったといいます。
子どもの消息を知ったのは、出産から2年ほど経った頃でした。直美さんがやむなく子どもを手離した経緯を知ったある関係者が、子どもが大体どの辺りに住んでいるかということを、特別に教えてくれたのです。偶然なのか必然なのか、それは直美さん一家の引っ越し先から、すぐ近くの街でした。
「それからずっと、『もしかしたら、子どもがいつか自分に会いに来るかもしれない』って、何となく思っていました。自分のルーツを知りたいって思う人はいっぱいいるし、私だったら探すなと思ったから」
そうして約20年の月日が流れ、昨年ついに直美さんのもとに、その子・悠さん(仮名)からメッセージが送られてきたのでした。
再会して驚いたこと
「自分の母親を探しています。あなたですか?」
SNSを通して送られてきたのは、こんなメッセージでした。直美さんは、驚きませんでした。なぜなら、いつか子どもが自分に会いにくるとき手がかりになるようにと、敢えて旧姓でSNSに登録していたからです。
いまの夫にも、高校生のときに産んだ子どもがいることは話していました。とはいえ、「実現したときのことをあまりシミュレーションしていなかった」ので、動揺はしたといいます。
そしてついに、直美さんと悠さんは再会を果たすことに。
「『あ、自分に似ているな』と思いました。特に行動パターン、『思い立ったらすぐ行動』というところ。Facebookでつながったんですが、(悠さんは)友達がめっちゃ多くて国際的。私に会いにきたときも、一週間後に海外(マイナーな国)に行くと言っていて、そういうところも『ああ、(うちの家系に)似ているな』って」
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