広い家には朝起きて何気ない会話をする家族はおらず、外で「はい」や「いいえ」の意思表示を口にすることも咄嗟にできないくらい言葉が出てこない。学生時代に親しかった友人には鬼籍に入った人も多い。そうした寂しさをポツリとこぼす日記もときどき残している。
老いと環境に身を任せたら、この寂寥感にのまれて生を閉じる未来がよぎる。しかし、幸子さんは今で言うアーリーリタイアの後も隠遁をよしとせず、積極的に世の中と関わっていった。
毎日、全国紙と地方紙の2紙に目を通し、NHKのラジオ・テレビ講座に学び、俳句やエッセイ、児童文学をたしなんだ。70歳からは町のアトリエで絵画も習うようになり、75歳で青年美術家クラブに入会。その腕前は、とくしま文芸賞の児童文学部門で最優秀賞を受賞し、徳島県美術展で何度も入賞入選するほどだ。数々の賞は黙々と作品性を高めていって舞い込んできたわけではない。自分でコンクールを見定めて応募する積極性あってこその実績だ。
独り身だからこそ24時間すべて自分のために使える。ならば精力的に使う。積み重ねられるように建設的に使う。やがて趣味には、短歌やカメラ、そしてブログも加わるようになった。
80歳でパソコンを始め、84歳でブログ開設
友人の勧めでパソコンを始めたのは80歳のときだ。その流れでインターネットで流行していたブログに目をつけたのが2006年。冒頭で触れたように84歳で「さっちゃんのお気楽ブログ」(https://plaza.rakuten.co.jp/450kirai/)を立ち上げた。毎日ブログで絵画を発表するようにすれば絵の勉強になるとの考えだった。
だから、最初期の投稿から絵画に日記を添えるスタイルを貫いている。女学校の頃に課題で修養日誌を毎日提出したり、友達と交換日記を書いたりした経験もあり、文章を書くことに苦労はなかった。
最初の数年はアクセス数も少なく、コメントもたまに友人や読者が寄せるくらい。それでもリアクションに面白みを感じつつ黙々と毎日の更新を続けた。2010年3月に「さっちゃんのお気楽ブログ2」(https://plaza.rakuten.co.jp/sacchan1029/)に移行してからもスタンスは変わらない。
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