実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想
本居宣長が定義した日本の神様
日本における神の定義として最も有名なものは、江戸時代に国学者の本居宣長が行ったものである。宣長は、当時、読むことが難しくなっていた古事記の注釈を試み、それを『古事記伝』という書物にまとめている。その第3巻の最初の部分で、神とは何かについて述べている。それは、次のようなものである。
宣長はここで、「迦微(かみ)」という表現を使っているが、神話に登場する神々をはじめ、各地にある神社に祀(まつ)られている祭神、さらには、人だけではなく、鳥獣、木草、海山なども、それが通常のものよりすぐれていれば神であるとしている。
そして、神の基本的な性格である「すぐれたる」について注釈を施し、善いものも、悪いものも、それが他のものにくらべてすぐれていれば、どちらも神であるとしている。宣長の神についてのとらえ方は、この点に特徴がある。神は善神ばかりとは限らない。悪いものであっても、その程度が他と比べてはなはだしいものであれば、それは神だというのである。
たしかに、一神教の神も、世界を創造したという点では善なる存在だが、自らが創造した人類が堕落していると判断すれば、それを一掃してしまった。堕落した人間が悪いのだとも言えるが、ノアの家族以外に善人はいなかったのだろうか。そんなはずはない。それに、神は自らの失敗の責任をとらなかったとも言える。
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