海外生まれの彼女が日本舞踊「名取」になれた訳 クラウドファンディングで名取になる資金捻出

✎ 1〜 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そんなある日、ハナさんは歌舞伎を鑑賞する機会を得る。父方の親戚に代々歌舞伎の床山を務める一族があり、叔母がハナさんを歌舞伎見物に誘ってくれたのだ。歌舞伎との衝撃的な出会いを果たし、日本の伝統美のとりこになったハナさんは、自分にも日本人の血が流れていると感じるようになり、やがて日本舞踊を学ぶようになる。

比較的リーズナブルな料金で日本舞踊を教えている指導者を見つけて、習い始めたものの、最初は思うように体が動かず大変だったという。

「骨格も違いますし、生活習慣からくる体の使い方もまったく異なるんです。日本舞踊の基本的な姿勢は私にとってはなじみのないもので、それを習得するのはとても大変でした。始めたころは毎日ひどい筋肉痛に悩まされました」と振り返る。

一方、レッスンでは言葉の壁をまったく感じなかった。これは踊りという「共通言語」があったから。「日本舞踊の動きには意味があります。私の母は言葉で日本の文化を理解していますが、私は舞うことで日本文化を体で感じ、吸収していると実感します」というハナさん。言葉を介さなくても動きを通じて日本人の心の機微を感じ取ることができる、その感覚は大きな魅力だという。

「もっと極めたい」と新たな師匠のもとへ

ポーランドに帰国後も日本舞踊をやめることはなく、毎年1~2カ月くらい日本舞踊を学ぶために日本を訪れた。「ポーランドの感覚からすると日本への渡航費、生活費は非常に割高です。この費用を捻出するため、ポーランドではかなり節約生活を送っています」。

練習に励み上達してくると、もっと極めたいという欲が出てくる。本格的に日本舞踊を学びたいと思いはじめたハナさんは当時習っていた西川福紫乃さんに相談した。しかし、西川さんは趣味で日本舞踊を学びたい人を対象に教えていたため、本気でやるなら別の先生についた方がいいとアドバイスされた。何年も師弟関係にあり、まるで日本の母親のような存在になっていた師匠と離れるのは寂しい気もしたが、ハナさんは新たなステップを踏み出すことを決意する。

そして2014年、共通の知人を介して、リトアニア、ポーランドで公演を行った地唄舞の花崎杜季女(はなさき・ときじょ)さんと知り合い、師事することとなった。「すばらしい先生と出会うことができて本当にラッキーだったと思います。杜季女先生は考え方もすごくオープンで斬新。海外に地唄舞を広めることにも積極的です」とハナさんは語る。

次ページ「地唄舞」に共感してしまう理由
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事